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猪狩裕一のコラム 一覧





2012年8月

気心の知れたスタッフが独立のために退社することになり、送別会が行われました。
良い方向に育ってくれたので、これからも彼らとは仕事も含めて良い付き合いをすることができそうです。長年、同じエバーの屋根の下でやってきた我々なわけですから、今後もあうんの呼吸で良い成果を上げてくれるだろうことは、エバーにとって大きな財産になるでしょう。場合によってはエバーの中に価値観の異なる良い風を持ち込んでくれることもあるのかもしれません。
エバーという会社での私の人材育成の考え方は、「全てを学ぶべき」ということです。
設計であってもコーディネーターが仕事がしやすいようにと考えることが大切ですし、コーディネーターであっても営業が仕事をしやすいようにと考えることが重要です。それぞれの職分というのはあるにしても、自分のテリトリーのことだけをやっていて、他の人のことは知らない、というような仕事のし方はして欲しくありません。
「あ、その件は私の担当ではないので」なんていう言葉が会社組織ではよく聞かれますが、そういう意識の人間はエバーでは必要ありません。なぜなら、つくるものは一つだからです。
柱の位置、照明の位置、窓の位置・・・家のすべての位置には理由があります。しかしそれを組み合わせる時に、構造面、配管面、導線、採光、その他いろいろの複雑な条件をクリアしなければなりません。そのためには自分以外の専門の領域とコミュニケーションをとり、折り合いをつけないと何ひとつ解決できません。折り合いをつけるためには、前もって相手の主張を想像しておくことが大切です。相手の立場を考えて解決策を模索しておくことが大切です。だから、自分以外の領域の仕事も知っておくことが必要であり、そのために「全てを学ぶべき」と思っているわけです。
私がスタッフから仕事の報告を聞く時、そういった点がなされているかどうかを察してみたり、スタッフに問うてみたりしています。その練習は、ゆくゆくそのスタッフの大きな財産になると確信しています。答えを出すのは簡単です。しかし大切なのは、問題を解くための道筋です。とくにエバーの仕事は大変だと思いますよ。覚えたいくつかの公式だけで解こうとする人には、解けないことがいっぱいある会社だと思いますから。


2012年7月

相手に必要以上の不安を与えてしまうというのは、非常によくないことだと思います。
私たちのことで言えば、お客様の不安に一緒になって不安がってしまうことです。そこで黙ってしまおうものなら、それはもうそこで終わり。最悪です。正しい行いは、その不安感を前向きに検討しようとする気持ちと意思表示です。日を置いてでもいい、必ず何とかする、できる、と責任をもって応えられること。一緒になって不安がっていてはいけません。それはお客様をさらに不安がらせることになります。
解決するにはいろいろな方法があります。真正面からぶつかるだけでは解決策は見つからないのかもしれません。むしろ角度を変えて物事を見るところから、物事の真理は見えてくるものなのかもしれません。眺める角度をもっている人のことを、「応用がきく人」と言います。眺める角度を何方向か使い分けられる人のことを、「できる人」といいます。
話は変わりますが、最近の大雨により九州地方で多くの犠牲者が出ました。近くの川が氾濫して集落が襲われ、何十人という人の命が奪われました。大人の背よりもはるかに高い堤防が決壊して、川の流れはまるで土石流のように重たい土砂を含んで襲ってきました。これなら大丈夫と自信をもって建てられたコンクリートの堤もむなしく意味を失ってしまいました。
まるで昨年の東北大震災でいともたやすくスーパー防波堤を乗り越えた高波を思い出させます。堤の備えは素晴らしいことです。しかし、どんなに高い堤をこしらえたところで、自然の猛威を完全にシャットアウトできないことを、私たちはあの震災で思い知らされました。備えは大切ですが、完全に防ぐことなど不可能なのです。
自然の猛威は完全に防げる、自然には勝てる、というのは間違いです。むしろ、自然には勝てない、と断言した方が正しいと私は思います。そう、だから「逃げる」とか「逃がす」という発想がとても大事なのです。
第一、日本全国がスーパー防波堤のような防御に途方もない予算を使うなんて、ナンセンスだと感じませんか?それじゃあ陸地から波の高さが確認できないじゃないですか(苦笑)。先日の九州の洪水だって、川の防潮堤は水位を確認できませんでした。
水があふれたと知ってから、家の一階部分がまるごと水に呑みこまれるまでの時間は、わずか15分足らずであったそうです。行政は堤に過信するのではなく、決壊を想定して近くに逃げ場所を確保することだって大切だったはずです。
神奈川県内初の津波避難タワーというのが藤沢市の県立湘南海岸公園に先日完成しましたね。海水浴シーズンが始まるのに合わせて建設され、地震発生時に沖にいて逃げ遅れた人の避難を想定しているものです。いわゆる火の見やぐらのような形状のもので、一度に約100人を収容できるそうです。このようなものが、湘南の海沿いの地域にいくつもできれば、それは安心が増えるだろうと感じます。公園の一角でもいい、遊んでいる空き地でもいい、「いざとなったらひとまずあそこに逃げよう」という場所です。お年寄りだって近くにそういう場所があれば必ず助かります。何でも3000万円かかったそうです。いくつ作ったって、防波堤よりは安価だし現実的です。
「逃げる」「逃がす」という、自然の恐さを知った上で今できることをきちんとやっている人は、防波堤さえあれば安心だと言い張ってそればかり主張する人よりは、はるかに「できる人」の成果だと、私は思います。


2012年6月

どこの会社でもあるように、エバーにもスタッフが集う定例の会議というものがあります。そこでは現状を報告したり、他人の仕事を良し悪しを含めて評価したり、要は会社のレベルアップを全員でめざす目的の場なのですが、総じて「報告会」として必要なものです。それとは異なり、仕事を終えてからのスタッフとの食事会などは、皆が権限や立場をある程度取り払って気安く、しかし真剣に会話ができる場としてもとても重要で、それはやはり報告会ではなく「現場の延長線上」です。
双方とも大事なものですが、たとえば経営者である私が、会議の場で「経営の指針」なるものを難しい顔をして皆に説明しても、それはなかなか伝わりづらいものです。
しかし、仕事終わりに一緒に唐揚げ定食でもかぶりつきながら、「これからはこんな風に考えているんだけど、皆はどう思う?」などと持ちかけると、その反応の強さや速さというのが明解です。相手が思っていることや疑問に思うことをすぐに感じ取ることができたり、その相手ゆえに発せられる個々の考え方が言葉になって返ってきたりします。自分の主張を理解してもらうだけでなく、それ以上に相手のことがよりよく理解できたりもして、いろいろな意味合いで双方に発見が多いのです。会議がよく
ないと言っているのではなく、会議では生まれないものが生まれているということです。何かこう、ソウルフルな部分というか・・・
「気合いを入れ合っている」なんていうことかな、とも思います。とても原始的なことなのですが、とても大切なことに思えます。気合いとは、伝染させるものではなく、本来は自分だけに発せられるもので、他人にアピールすることが目的ではありません。しかしそれが自然なかたちで相手に伝わった時には、とても良い効果をもたらします。しかし、そうした「気合い」のようなものは、なかなか会議のようなものでは交換しづらいものです。
「あいつがあれだけ真剣に考えているんだから、俺も負けてはいられない。」そう思い合えるのは、やはり会議の延長線上ではなく、現場の延長線上なのかもしれません。立場上やむをえず現場を遠ざかることもある私ですが、他人の気合いをもらうためにも、できるだけ現場主義でいたいと願っています。くだらない話も山ほどする私たちですが、気合いもなかなかのものだと自負しています。


2012年5月

おかげさまでエバープロデュースのレストラン「ル・ニコ・ア・オーミナミ」が4月のオープン以来ご好評をいただいております。想定をしていた通り、まずはランチタイムに多くの皆様が足を運んでくださっています。フレンチの新店ですから、思いつきで「行ってみよう」とはなかなかできないもので、とりあえず行った人の評判を聞いてから本腰を入れてディナータイムへ、というのが筋であると思っていました。まずお試しでランチから、というお客様の動向はごもっともです。長い目で見ていただけたら本望です。
さて、大変だったレストランのオープンが無事終わり、ひと息ついて後の今の私はというと、「原点に立ち戻った」感じがしています。家づくりやお客様の望む建築の現場に、意気揚々と帰って来ているような(実際の日々は今までと変わりはないのですが)、不思議な感覚です。現場に指示を出し、お客様と細部の折衝をしたり、選んでもらったり、納得をしてもらったり、そういうことが生き生きとできています。自分の仕事本来の感覚です。資材やスタッフにざわざわと囲まれた喧騒の中が、本来の居場所のように感じます。
喧騒の中では、スタッフの皆が迷ったり、立ち止まったりします。しかし現場が止まってしまうことは大変なことです。だから要所要所では必ず私の対処が必要になってきます。あるいは私のような現場を止めない力を持った人間が必要です。しかしながらどうも私自身の性分がそうはさせません。他人任せにはできないでいます。他人に任せるとあまりいい結果にはならない、という苦い経験が今までたくさんあったからかもしれません。
どんな仕事に携わる人にも、第六感というのがあると思います。それは経験や技術や才能が備わった人ほど強く育まれています。私の場合は設計図を見るとその第六感が働きます。一見ささいな部分であっても、何かそこに胸騒ぎが働くのです。「この部分の数字は裏付けが必要になる」とか「この部分の施工は必ずお施主様に立ち会ってもらわないと危険だ」とか、誰も気づかずにスルーしてしまうことが、大きな心配に感じることがあります。それは放っておくと現場を止めてしまう原因になります。設計図レベルでそれを見極め、胸騒ぎがする場所を前もって対策しておけば、現場は止まることもないし、スタッフが右往左往することもありません。それを発見する能力というのは、科学的ではありませんが、経験や技術から生まれた第六感のように思えます。
さしずめ第六感とは、「先読みする力・プラスアルファ」だと感じるのです。恥ずかしながら将棋ができない私ですが、いわんやチェスなどちんぷんかんぷんな私ですが、そういった先読みをするタイプのゲームは相当に強い、ような気がします。ゲームをしなくても済んでいるのは、現実の世界で存分に使い果たしているからなのでしょう。

「ル・ニコ・ア・オーミナミ」ホームページ http://le-nico-a-ominami.com


2012年4月

ついにエバーグリーンホームがプロデュースするフレンチレストラン「ル・ニコ・ア・オーミナミ」がオープンしました。
ご存知ない方のために。フレンチレストラン「ル・ニコ・ア・オーミナミ」は、猪狩裕一の先祖が暮らしてきた土地を有効利用する目的で、エバーがその土地に設計・施工をし、茅ヶ崎随一のフレンチレストラン「ラ・ターブル・ド・トリウミ」から料理長の原信行氏を招聘して運営されてまいります。
お察しのことと思いますが、この「ル・ニコ・ア・オーミナミ」には、さまざまな意義がこめられています。
最も大きな意義は、もちろんより多くの人に良い素材を使った美味しい料理をできるだけ値段をおさえ、心より堪能していただくことです。
もちろん、料理がおいしいだけでは豊かな時間を過ごすことはできません。豊かな時間を過ごすには、素敵な空間が必要です。料理をより美味しくするための空間も堪能してほしい。そして、できることなら興味をもってほしい。これから家を新築する人であれば、「ル・ニコ・ア・オーミナミ」で過ごした時間がきっかけとなり、エバーグリーンホームにも興味をもっていただけたなら、うれしいです。
私はできるだけ数多くの人に「得」をして欲しいと思っています。「ル・ニコ・ア・オーミナミ」に来たお客様は、お料理と空間を通して豊かになって欲しい。「ル・ニコ・ア・オーミナミ」の原シェフならびにスタッフには、おいしい料理を創造するモチベーションと、お店の繁栄を喜びとして欲しい。茅ヶ崎の皆様には、微力ながら創出された雇用を活用していただけたら幸いです。そしてエバーグリーンホームにとっ
ては、レストランのお客様の中に新築や店舗の構想がお有りの方がいたら、ゆくゆくはそのお力になれることを希望しています。
二の次になりますが、一応オーナーである私にも今後にメリットがありますように、と願っております。「二の次」と言ったのは、飲食店のオーナー様であればお分かりになると思うのですが、素材のいいもの、手抜きのない美味しいものを提供しようと思うと、その手の飲食店の採算というのは切実に厳しいものです。だからといって大切なものを犠牲にしてまで利益を出すような店には、決していたしませんので、今後とも厳しい目と温かいアドバイスで支えていただければと存じます。
お昼のコースは1,800円からです。フレンチのコースでこの値段です。驚かれる方も多いようです。それでも納得をしていただく自信はあります。値段で勝負するお店ではありませんが、「この値段でこれだけのことをしてくれる」、そんなお店でありたいと思っています。だから、私はこれでいいと思っています。

「ル・ニコ・ア・オーミナミ」ホームページ http://le-nico-a-ominami.com


2012年3月

 従来、日本古来の木造家屋の軸組工法、繋ぎ目を掘り込んでカマやホゾを設けて噛み合わせるやり方は、優れた耐久性を生み出し素晴らしい日本の建築文化です。それは同時に、優秀な日本の大工による堅牢な美学でもあります。しなしながら、現在はどうしても家を建てることにおいてコストが重要視されます。軸組の削り合わせからくる木材の欠損率が高く、現在では施工コストの2割前後を上乗せせざるを得ない従来工法は、その代替策としてコストを抑えた金型工法が数多く取り入れられています。金型工法とは文字通り、繋ぎ目に金属のプレートやユニットを用いた工法です。木材の欠損率が少なく、比較的低コストで家が建てられ、仕上がりも頑丈な金型工法です。しかしながら、従来の伝統工法に劣る重大なデメリットというものも存在します。
 皆さんは火が消えた後の家屋の火災現場というものをご覧になったことがあると思います。ある家は柱も含めて家屋ごとが倒壊します。またある家は焼け焦げて家の跡かたはなくなっても、柱はきちんと生き残って家としての輪郭が残っているような焼け跡もあります。金属は火に強く、木は火に弱い、と我々は想像します。しかし、正確には金属は火で溶けてただれ、木は火で炭化し炭となるのです。全ての家がそうであるとは言い切りませんが、柱も含めて家屋全体が倒壊する可能性が高い家というのは、繋ぎ目の金型部分が溶けて関節が外れ、家全体が崩れ落ちたことが倒壊の原因になります。火災で死亡に至る主たる原因というのは、有毒ガスによる窒息と倒壊による下敷きです。メリットが多くトータルバランスに優れた金型工法ですが、それは同時に、火災による家の倒壊率が高い、という弱点をも合せ持っているわけです。
 そんなことから、エバーではその両方のメリットを合せ持った、在来工法の進化型といわれる「APS工法」について、その意義をあらためて検証し、必要に応じて活用していく方針をとろうと考えています。APS工法では金型工法とは異なり、金属ではなく対火性の強い高強度・高耐熱の鋳鉄を用います。鋳鉄は木材のつなぎ目に覆い隠れるような状態で埋め込まれるので、それ自体が単体で溶けにくい性質をもっています。
 安全性・耐久性・経済性、ありとあらゆる条件を満たす、これ以上のものはない、というものは、どんなジャンルの何をとっても、そんなものは有り得ないのではないかと思います。万物に「完全」がないのと一緒なのかもしれません。その時々で、何が最善であるかを選択する必要があります。
 旧来日本の家の建て方というのは、世界的に絶賛され模倣される素晴らしいものです。しかしそれだけを頑なに守るだけでは現実の需要からは遠ざかる一方です。良いものを見極めることと、シンク&トライを重ねて良いものは取り入れ、ダメなものは捨て去ること、それが大切なのではないかと考えています。


2012年2月

いい国って、どんな国でしょうね?
私は、がんばっている人がそれなりに報われる国、だと思います。もちろん、がんばることのできない弱い人も世の中にはたくさんいます。そういう人達はそういう人達で、みんなでしっかりと守ってあげたり、できる範囲での役割を与えることができ、社会から疎外されることのないようにできる、そんな国です。がんばれない人達にもがんばる機会はちゃんと来て、そのチャンスは誰でも活かすことができ、やがて報われたら、今度はその報いを誰かに分け与えることのできる、そんな平等感をもった国だと思います。
がんばっていないのに報われている人が多いから、この国は歪んでいます。そういう人達は、その先もずっと、自分が怠けても利益を得られるシステムを作り、それを守っていきます。事故のあった原発の近くにはたくさんの公共施設が作られています。誰も使う人などいないのに、毎年多大な維持費がかかり、その建設や維持で報いを得ている既得権者が大勢いました。彼らは何もしていない、何一つがんばっていないのに、当たり前のような顔をして贅沢に暮し続けていました。そんな人々がこの国には腐るほどたくさんいます。そういう人達が「原発は100%安全ではないかもしれません」なんて言うわけがありません。既得権益は時として、人に嘘をつかせ、人の命さえ奪っておきながら、それでもしらばっくれたり他人事のようにできる、解釈を間違うと恐ろしい利権です。人間は生きている以上、自分のためや誰かのために、がんばり続けなければならないと私は思います。がんばることを忘れた既得権者は、もう終わりです。
無用な既得権者の顔色ばかりを観て、しらばっくれたり他人事のようにもできる、そんな人に耐えかねて、私たちはいま本当に正義を実行してくれる人の到来を待っています。理論ばかりで何一つ実行しない人ではなく、有言して実行しようとする人です。変革は、歴史上でいくつも起きてきました。「維新の会」という名称を聞いて、当時の変革を想像した人はたくさんいたことでしょう。
これを読んでいるあなたも、私も、おそらく誰もが。もう、我慢が限界を超えています。


2012年1月

今回は私に似つかわしくないですが、AKB48の話です。
年始のテレビ番組で、まだ全然売れていない頃からの彼女達の足跡を振り返っていました。自分たちの魅力をもっとより多くの人にわかってほしいと、もがきながら、助け合い頑張っている姿は、とてもいいものでした。考えてみれば、芸能人というのはすごい職業です。どうやれば売れる、という法則が
まるでない職業なのですから。スタイルがよく、顔が綺麗であれば、ファッションモデルにはなれます。しかし、芸能人はスタイルがよく、顔が綺麗であっても、なれるものではありません。さらに歌が上手く、踊りが達者であっても、必ずなれるものでもありません。キラッと光る何かがないと。そこには法則がありません。彼女たちは自分自身に、そのキラッと光る何かがあると信じて、その信じる力だけを頼りに、道のない暗闇の中を突き進んで来たわけです。そうして報われる人なんて、ごくひと握りだというのに。
至極幸いなことに今彼女達は成功しました。しかし、闇の中の彷徨いはこれからも続きます。芸能人の魅力なんて泡のようなもので、昨日と同じことを今日またやったら、それは飽きられるだけですから。たえず新しい自分の魅力を探し続け、それを形造らないと、いつ消えてしまうかわかりません。
「いま求められているのは、何か?次に求められるのは、何か?」
AKB48の努力を眺めていながら、この疑問符は自分自身にもあるものだと感じました。
家づくりとて、似て非なるものかもしれません。エバーの家づくりはこれからどこに向かっていけばいいのか、それはとても難しい問題です。私たちだって、道のない暗闇の中を突き進んでいくのは同じなのだと気づかされました。
そんな中で、ひとつ、「プライドを取り戻す」ことが道しるべであると感じます。プライドとは、自分はできる、と信じること、要は仕事の原動力です。日に日に、仕事の喜びを見い出せなくなってしまった人が増えているような気がします。仕事が生きがいだ、と答えられる人が少ないことは、不幸な世の中になってしまっている気がしてなりません。仕事のプライドは、だからなおさら大事です。一人ひとりのその上昇するエネルギーを、長として育て、守っていきたい。個々が個々の立場の中で、自分の仕事に自信と誇りを取り戻すことから、さらに良い家づくりへと進化することができると感じます。昨年は震災という辛く悲しい出来事があっただけに、強く生き直すことは大変なのかもしれません。しかし、だからこそ、周囲を守れる人間は、周囲を守らなくてはいけません。驕ることなく「自分たちはもっとできる」という思いを信じて、志を高く掲げ直していきたい。そして、得られる利益は、個人ではなく、皆で共有すべきです。
そのための環境を整えることが、ひとつ、私の役割なのではないか。
別にファンでも何でもないですが、20代のAKBと40代の猪狩裕一、どこか頑張る気持ちに共鳴を覚えた、そんな年明けでした。


2011年12月

私が今、心からおすすめしたい、おいしいお店があります。
それは茅ヶ崎市共恵の焼菓子の店「Sainte-Enfant」。パウンドケーキやクッキーなどがメインのお店です。すでにたくさんの顧客がいらっしゃるそうですが、何せそこの奥様が一人で作っていることからなかなか製造も追いつかず、週に3日ほどしかお店は開いていません。要するに、作ったそばから売れてしまうという実態なのです。
「おい、だったらどうしてそんなお店を宣伝するんだ?」とお思いでしょう。だってこれが書かずにおれますか!もう感動的に美味しいのですから。
実はこのお店は、先日エバーが建てた「茅ヶ崎Y邸」です。下階が焼菓子の店「Sainte-Enfant」の工房とショップ、上階がご夫婦のお住まいになっています。
くわしくはこちらをご覧ください。
なんだ、お施主様だから褒めているのか、ですって?とんでもない。私はそんな人間ではありません。本当に(しつこいようですが)美味しいのです。口にしたスタッフも、打合せでお菓子をお出ししたお客さまも、異口同音に「美味しい!」と感動されているのですから、間違いはありません。味は特別に個性的であるとか、アイデアが効いているといった類ではなく、変化球ではない正統派の美味しさです。どこかにご挨拶に伺う時、何を持っていこう・・・そんな時に、いま真っ先に思い浮かべるのが、この「Sainte-Enfant」のお菓子です。きっと、誰でもが美味しいと喜んでくれる、そんな確信があるからです。
ぜひ一度お試しください。ただし、品切れは必至です。営業日はなるべく早い時間にお出かけを。事前に電話で聞いてみるのもいいかもしれません。
美味しいものの話ついでですが、味の好みは本当に人それぞれですね。ミシュランが上陸して5年目、先月発表された調査対象は湘南エリアまで拡大されました。従来の東京・横浜・鎌倉に加えて、横須賀、葉山、逗子、藤沢、茅ヶ崎、平塚ほか9の市町村が新たな対象になりましたね。藤沢市では「幸庵」が三つ星を獲得して話題になりました。
「あれ、どうしてこんな店が入ってるんだ?」「あれ、なんであの店が入っていないんだ?」等々、ひとり考えたり、他人の感想を聞いたりしています。とくに「あれ、どうしてこんな店が入ってるんだ?」という部類の話については、自然と盛り上がります。大きな声では言えないことがたくさんあるというのも、内緒話のようで楽しいです。そして最後は「ミシュランって、どうなんだろうね 笑」。私もまた、個人のブログ内で「エバー的ミシュラン」=「エバラン」などと称して勝手に美味しい店を紹介しています。これもまた他人には突っ込みどころが満載です。舌は千差万別、自分が贔屓にする店が自分のミシュランであればいい、そんな風に思っています。
だからこそ「誰もが間違いなく美味しいと感じてくれる」と胸を張って宣言できる「Sainte-Enfant」は、実に貴重なお店ではないかと思うのです。


2011年11月

子供の頃の記憶というものは、色が少なかったり、あるいは色がまったく無かったりします。どうしてなんでしょう・・・不思議です。時間とともに色あせてしまうのでしょうか。まるで古いポスターが時間とともに色あせてゆくように。
私は茅ヶ崎市の南西にある海辺の町、柳島に育ちました。そこでの記憶の景色というのは、今のように色が多い柳島の光景ではなく、平屋の家並みのくすんだトーンの連続のようなものや、野っ原の枯れかかった雑草や、一本に伸びる灰色の道路といった、そういったものです。今のように、モダンな色とりどりの家々や、賑やかな商店の看板や、そういったキラキラとした「湘南」という感じとは異なります。私が子供の頃の時代と今は、ずいぶん変わりました。
今の子供たちが大人になった時には、彼らの思い出の景色はどうなるのでしょう。やはり私と違って、たくさんの色が記憶に留まるのでしょうか。
エバーがプロデュースする茅ヶ崎市柳島のレストラン(名称:ル ニコ ア オオミナミ)が、着々と工事が進展しています。(今月はホームページに「離れ」の写真を公開させていただきました。下の記事です。)私はオーナーである立場上、最近は足しげく柳島に通っています。そこで思い出す、子供の頃の記憶がいくつもあります。
どこか遠くで鳴る、工事の「コーン!コーン!」という音。杭打ちの音です。今は油圧で行うためあまり聞くことがなくなった、どこか懐かしい音です。レストランができる浜見平団地の周辺からは、国道134号線沿いの汚水処理場の工事車両が、遮るものなく見えていました。「コーン!コーン!」と音をたてる重機の姿が、浜見平の部屋の窓から小さく見えていました。その手前にあったのは、畑と、点在する平屋の家々、それだけでした。景色を真横に遮っていた国道134号線は、今のような堅固な幅広の道路ではなく、土を盛った上に伸ばしただけのような、いかにも田舎臭い道路でした。昭和39年、オリンピックの年にできた浜見平団地が、背が低い町並みの中に抜きん出ていました。そんな景色に当り前のように囲まれて、私は育っていきました。
今から考えると「何も無かった」町でしたが、しかし、今の柳島という町には、私は大きな可能性を感じています。来月、12月27日(火)にはレストランの上棟式が行われます。餅まきを行いますので、近隣の皆様のお越しをお待ち申し上げております。



2011年10月

ほっとしました・・・。それが正直、本音です。そう、10月8日(土)・9日(日)・10日(月祝)に行われた、エバーによる一年半ぶりの完成内覧会のことです。予想をはるかに上回って、のべ100組以上の皆様にご来場いただきました。心からほっとしました。本当によかった・・・。
景気低迷、震災、津波・・・家づくりに踏み切るには逆風に包まれているような今、果たしてどれだけの方がエバーの家づくりに興味をもってくださっているのか。正直、不安もありました。。聞いた話では、大手のハウスメーカーでさえ1日の来場者がたった3組だった、などということも耳に入っていたくらいですから。しかし、そんなことはなかった。既製品を組み合わせた工業製品のような家づくりではなく、思いをかたちにすることを願う人たちが、こんなにたくさんいるんだ、と。ご来場いただいたたくさんのご家族の笑顔に、前向きな考え方に、私ばかりかスタッフ全員が勇気づけられました。
そして、今回の完成内覧会が今までとは異なり、土地の活かし方から家づくりを考える“エバー・プロデュース”という点でもご理解いただけたことを、大変うれしく思っています。利益優先ではなく、あくまでもそこに住まう人の立場で家づくりを考えてきました。より広い視野に立ってものを考える姿勢に共感をいただけたことが、うれしくてなりません。
より多くの方と出会うことができ、このような機会が実に重要であると痛感しています。会社として、多忙を理由になどせず、次回は一年半などというブランクを置くことなく、開催できるようにしたいものです。


2011年9月

時が経つのが驚くほど速い。そう思いませんか?私だけでしょうか?もう、びっくりするほど速いのです。一週間に一度のテレビ番組が、まるで前回観たのは昨日だったような、そのくらいの時の速さを感じるのです。ひと月に一度会う関係者がいるのですが、毎回驚いています。「えー、もう一カ月経ったのか!?」と、こんな調子です。こんな調子がこれからも続いたら、あっという間にお爺さんになってしまいそうだ。コワイです。
震災から半年が経ちました。驚くほどたくさんの変化があったはずなのに、あっという間だったような気がします。半年も経ったような気がしないでいます。しかし、確実に時は経っているのですね。さまざまな情報が私の耳にも入ってきましたから。テレビや新聞で流すことができるものは、テレビや新聞を通じて。しかし、真実というものはそれだけではありません。テレビや新聞では都合のよくない情報もあって、そういうものも含めて、全てがひとまとまりになって、「真実」です。真実は、時としてその人の将来を変えてしまうほどの衝撃を与えてしまったり、時には人に深い傷を与えてしまいます。知らなくて済む、ということも、ある意味では大切なことなのかもしりません。
しかし、知らない、ということは、自己防衛する上では大きなマイナスです。「知らなかった、では済まされない」という慣用句があるように、一定の責任や地位を持ち始めた人間にとっては、あらゆることは知っていなければならなくなってきます。責任が大きくなった人間ほど、真実はすべて把握していた方がよいということになっていきます。知らないでいるということは、落とし穴の気配を感じずに野放図に社会を歩くことに等しくなってきます。
若いうちは、いろいろなことを知らなくて当然だし、それでいい。けれども、いつかそうでなくなってくる時がやってきます。そういった知識や経験の差異があるから、社会というものは、上下や左右がありつつも、成り立っているのかもしれませんね。

2011年8月


 私たちには物の表面が見えます。中身は目で見えません。透視の超能力があれば別ですが、中身はまず見えません。当たり前の話です。
 じゃあ、見たかったらどうすればいいか?割ってみればいいのです。割ってみれば「ああ、中身も表面と一緒だった。よかった。」と知ることができたり、「なんだ、表面と全然違うじゃないか。」と知ることができたりします。そうだ、西瓜だったら叩いて音を聞く、という手もありました。
 物であれば、それで中身を知ることができます。しかし、事の真理というものは、割ってわかるというものではありません。情報は、表面を眺めながら想像をするしかないのです。新聞やテレビ、人の意見・・・しかし、これがなかなか怪しい。データはないよりあった方が良でしょう、けれどその全てが間違っているということもあります(最近はとくに多いような気がします)。情報収集なんて、西瓜の音を聞くよりもはるかに信用できないことのようです。「みんながそう言っているのだから、きっとそういうことだろう。」こういうのが本当に恐い。
 なんでそのようなことを申し上げているかというと・・・最近の、アメリカ経済のデフォルト(債務不履行)について、です。「みんながそう言っている」の実に典型的な例でした。どの新聞やテレビを見ても「世界的な経済破綻の危機!」「恐慌の始まり!」とその恐ろしさを伝えていましたが、お金の構造を少し知っている人なら「デフォルトするわけないでしょ。」とたかをくくっていたはずです。だって、たとえて見れば簡単なこと。“巨大企業アメリカ株式会社が、中国株式会社や日本株式会社からお金を借りて事業を展開していました。その事業ローンの返済期限が迫っていますが、今は返済することができません。”だからといって世界一の巨大企業が、債務不履行なんていう手を使って計画倒産なんぞ画策するでしょうか?債券も信用も紙切れにした文無しのアメリカさんとなり、ゼロからやり直すのでしょうか?
 借金とは、少額なほど借りた人を苦しめ、途方もない大金ほど借りた人を保護する、そんなようなものです。ましてや、借りてるアメリカさんという人は、めっぽうケンカに強かったりします。身近にもいますね、そういうキャラの方達。誰だとは言えませんがね(笑)。
 真相を知ることは大切なことです。もちろん仕事の上でも。「本当にそうなのか?本当にそれでいいのか?」と自分や相手の意見を疑うことは、ステップとして必ず必要に思います。そこから仕事は一段上がるのです。二回思えば二段上がります。三回思えば、もっと限りなく正解に近づきます。





2011年7月

 震災があってから、私たちには素晴らしい習慣ができました。それは、無駄な電気を使わないようにする、という日々の習慣です。いない部屋の照明は消します。みていないテレビは消します。皆が自然に行っていることです。努力をしているわけでなく、気がついたら誰もがそうしています。そして、その行いは電気だけではありません。出しっぱなしだった洗面所の水をこまめに止めるようになった、という人もたくさんいます。誰かからそうしろと言われたわけでもないのに、あって当たり前だと思っていたもののありがたみを、心底から感じるようになったわけです。本当に素晴らしいことです。
 自然に行えていることに、我慢は起きません。しかし、問題はこれからの季節、夏です。節電しなさい、とあちこちから言われます。今までの、あなたが自然に行ってきた習慣、それだけではダメなんです!もっと電気を使わないようにしてください!とそこらじゅうから言われます。そうしないと停電するんですよ!他人に迷惑をかけてしまうんですよ!と、軽く脅迫めいたニュアンスまで入ってきます。ただでさえ暑いのに、余計に暑苦しくなります。しかも、ここには論理のすりかえがあります。
「電気を大量に消費し過ぎて停電にでもなったら、それは国民であるひとりひとりの努力が足りないせいだ」と思わされてしまいますが、これは間違いです。今までさんざん電気を使え使えと言ってきたくせに、手のひらを返したように、使うな我慢してくれと勝手なことをいう電力会社や国のせいです。
 この際ですから、我慢できるうちは我慢しましょう。でも、我慢の限度を超えるのはよしましょう。赤ちゃんのいるご家庭、お年寄りのいるご家庭、電力をセーブしたくてもなかなかできない事情を持ったご家庭。全ての家が右へならえで同じ我慢をしたら、か弱い者ほど病に倒れてしまいます。
 節電ができる側としての義務、というより、電気の無駄をしない習慣づくり、という立場で、エバーではできることを行っています。たとえば常時空調温度を低めにセーブしたり、電球はすべてLEDを使用したり、必要がない場所の電球は取り外してしまったりもしています。そこで大切なのは、やり過ぎないことです。仕事の能率が落ちるとか、やる気が失せるとか、そこまでやり過ぎると、エバーという小さな社会の経済効率が下がるからです。もちろん、お客様が打合せなどでいらっしゃる時は、涼しく快適な室温でお迎えしようと努力しています。お客様の「ああ!エバーは快適だなあ!」という笑顔もまた、我々の経済効率を上げてくれるものなので。


2011年6月


 一つ。
やるべきことを後回しにして、増税の議論が先行している。私は一概に増税には反対していない。しかし、それはばらまき3K等の問題も含めて、復興の足かせとなる過去の政策にけじめをつけてからの話。「日本の、東北の、復興のために」と綺麗事を並べて増税を国民に強いるのは、ひどい矛盾ではないか?

一つ。
被災者住宅を高台に移す計画に際し、国が定めた補助金は一戸当たりわずか1650万円だという。山を切り崩し、土地をならし、道路を作り、インフラを整備して、いったい幾らかかると思っているのか。まったく現実的ではない数字である。また、移転は住民全員の同意があって初めて成立する。そんな全員一致で採決できる町なんてあるのか?あらゆる面で現実的でない。いつ被災者に心の平穏は訪れる?

一つ。
放射線の暫定基準値とは、なぜ「暫定」などとあやふやなのか。それは過去に参考になるデータがないからだ。このくらいの放射線を浴びれば何パーセントの確率で人体にどのような具体的悪影響がおよぶのか、誰もわからないからだ。将来に誰ひとり責任をとることができないのが実情なのに、どうして「ここまでなら大丈夫」と無責任なことが言える?「そんなこと私にはわからない!わからないのだからこうすべき!」と真向から筋を通す、気概のある政治家はいない?

一つ。
弱者は一刻も早く守られなければならない。それなのに、我々が託したお金はなぜいまだに止まっている?人を助けることはお金を渡すことだけではない。魚の釣り方だって教えてあげる、そこまで考えてこその救済である。それなのに、なぜまだそんなところでこの国はつまづいている?弱者でなく、怠け者の言い分ばかりを守ってどうする?

一つ。
茅ヶ崎の話。今年の浜降祭は、東北のことを考慮し、甚句や鈴鳴らしを自粛し、なるべく静かに行うのであるという。そもそも祭りとは何だ?実りに感謝し、災い無かれと祈る、それが祭りであろう?意気揚々とし、未来を活気づけ、発展へとつなげるものである。それをどうして東北を考慮する?第一、東北の人がこれを聞いたら、むしろ申し訳ないと思うのではないか?

今の世の中、全ての意見をおさまりよく結論づけることは至難の業です。
しかし、雑多な意見をそのままにしてしまうから、何もかもが本筋がぼやけ、おかしな結論に着地します。必要なのは、自らが泥をかぶって前に進むような、リーダーの存在です。
覚悟を決めた人であれば、きっと、我々はついて行くと思うのです。


2011年5月


 今回のユッケ食中毒事件で、私は初めて、牛肉に生食用がないことを知りました。同様に知らなかった人は多いのではないでしょうか。とても驚きました。生食用は存在しない、なのに私はこれまで何度もユッケを食べてきた。疑いもせず、大丈夫なものだと信じてきました。幸い私の場合は、ユッケ等の生は馴染みの店でしか頼まないのでさして不安はありませんでしたが、今回の一件であの店に心当たりのある方は、さぞや冷や汗をかかれたことでしょう。
 料理には見極めや手間ひまが不可欠です。ましてや鮮度が命の生ものであれば、素材の扱いを熟知していなければ話になりません。味を預かるということは、生ものの場合、すなわち客の命まで預かります。誰もが務まるわけではありません。
 生の肉を扱うのです、ユッケにしても、出す側には客の命を預かる覚悟が必要だったのでした。しかし残念ながらそれはなかったし、私たちもまた大丈夫とたかをくくっていました。これからは、焼肉屋にも二通りがあることを自覚しないといけません。一つは、生ものを正く扱える料理人のいる店と、もう一つは、生ものは頼んではいけない、命を預けてはいけない店です。
 おそらく大半の焼肉店が、生ものを正く扱える料理人のいる店だったのだと思います。それを今回の不祥事が台無しにしてしまいました。企画に頼り「290円」などという金額を打ち出したものの、蓋をあければコストカットしたのはあろうことか衛生管理でした。これは私見ですが、焼肉店に関わらず、どこの業界においても、企画に依存しがちな営業出身の経営者というのは、まあ、ろくなことを考えませんな。※注・・・中にはまともな社長さんもいますが。
 覚えていらっしゃるでしょうか、数年前にありました、建築業界における耐震偽装問題というのが。あの時もやはり、一部の心ない同業者の私利私欲が、業界全体の信頼を失墜させました。そしてあげくの果てが法規制です。国は責任を取りたくはないので、何かことが起きると法を規制します。しっかりやってきた大半の人間にとっては、余計な手続きが増えるばかりで、いいことなどありはしません。今回の一件も、日本の生食文化全体を規制するような、真摯に仕事をしてきた人間の足かせになるような、そういったセンスのない結末にはしてほしくないと思っています。


2011年4月

 先日、朝飛道場の完成祝賀会に招かれ、行ってまいりました。いやもう、来賓の皆様たるや、そうそうたる顔ぶれです。「あ、あれは現役時代のその圧倒的な強さから“史上最強の柔道家”と称される、ロス五輪金メダリスト、山下泰裕さん! 柔道の神様!あ、あちらはロス五輪・ソウル五輪の頂点、斉藤仁さん!数ある世界大会で頂点でありつつ常に山下さんの壁があり、ついに天皇杯で日本一になった時“今までエベレストに登りましたが初めて富士山に登れました”という名言を残した斉藤さん。感動したよなあ!」などと、私はすっかりテレビにかじりついて試合を観ていた頃の自分に戻ってしまいました。そしてもちろん、この男もいます。バルセロナの銀メダリストにして現在は飛ぶ鳥を落とす勢いの小川道場、その道場長・小川直也さん!3人が揃って談笑している光景など、滅多に拝めるものではありません。「すごい・・・」一介の建築屋である私は、ただただ唖然とするばかりでした。そしてまた、あらためて朝飛先生の御人徳を感じた次第です。まったく私ときたら分不相応です。参りました。
 さて、そろそろ宴もたけなわを過ぎ、そろそろ失礼した方がいいかな、と思いました。私と小川さんは同じ茅ヶ崎方面に帰るということで、失礼ながらひと足はやく退席させていただくことになったのですが・・・その後、朝飛先生がしつこく私を探していたということを後日お聞きしました。何故かというと「素晴らしいこの道場をつくってくれたエバーさん、その代表である猪狩社長が来ているので、ぜひ壇上でご挨拶をお願いしたかった」というのです。
 じょ、冗談じゃない・・・失礼、冗談はよしてくださいよ朝飛先生。子供の頃からの憧れの方々や、今日の柔道界を支えるお歴々を前に、私ごときが壇上でものなど申せるわけがないでしょう。そんなことになったら、恥だけかいてそそくさと壇を後にするのがせいぜいです。よかった、恥、かかなくて・・・。
 私、恥をかくのは人一倍嫌いなのです。ひょっとしたら、私の仕事の原動力も、そこなのかもしれない、なんて思います。恥をかきたくないから勉強をする。恥をかきたくないから手を抜かない。恥をかきたくないから前進する。恥をかきたくないから・・・
 長として人をまとめるには、相反する要素が必要であるとよく言われます。それは“自信”と“不安”、両極端で紙一重の心境です。考えてみるに私もそのようです。自信はある、けれどいつも不安で仕方がありません。安心しても、すぐに次の不安がやってくる、その繰り返しの日々です。けっこう疲れる性格なのです。そんなに疲れるのなら、何事も不安に思わず堂々と生きればいい、とお思いになるかもしれません。しかし、それができません。だって、恥をかいたら大変じゃないですか。
 自分の器を超えた、分不相応なことは、スルスル~っと避けて生きていく。それが私の、正しい生き方なのです。そうでないと、まったく、身がもちません。


2011年3月

ひどく胸が痛みます。

まるで作られた映画のような。

どこかの遠くの国の出来事のような。

けれどそれはすぐ近くの場所で起こった現実です。

私たちは知っておかなければならないことがあります。

自然の猛威は終わっても

人々の悲しみはいま始まったばかりということです。

どのようなかたちでこれから支え合っていけばいいのか、

私たちは自由に考えていくことができます。

大切なことは、考えることだと思います。

忘れないことだと思います。




このたびの東北地方太平洋沖地震により、

被害を受けられた皆様に、

心からお見舞い申し上げます。




また、近隣の皆様におかれましては、

これからも余震が続きますが、風評被害に惑うことなく、

落ち着いた行動をとってくださいますよう、お願い申し上げます。

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2011年2月

 

 あなたの好きな街はどこですか?住んでみたい街はどこですか?都心では、圧倒的な人気で吉祥寺が第一位でした(東京ウォーカー調査)。続いて2位が自由が丘、3位が下北沢、という結果になったそうです。
 吉祥寺か、なるほど、と頷けるものがありますね。吉祥寺はとくに商店街の構造が魅力的です。いくつもの商店街が東西南北に交差して、ひとつの一大商店街を形成しています。入りたい人は東西南北のどこからでも入ることができ、トレンドに敏感な 最先端のショップもあれば、昔ながらの変わらない庶民的な店もある。無理やり文化の方向性を定めているのでなく、その人その人の好みで、その時々の気分で、好ましいものが必ずある。導線の構造は大きな商店街を取り巻くように駐車場が充実しています。中心部は歩く人が主役です。商店街を歩くことの安全が保障されています。とくに高齢者にとって、これは安心できる環境です。
 商店街の話しで、もう一つ。先日、神奈川県を代表する柔道場、横浜市神奈川区の朝飛道場がエバーの建築設計により、ついに完成しました。朝飛道場の近くには、有名な六角橋商店街があります。シャッター商店街が日本全国で蔓延するほど商店街の存在が危ぶまれる中、この六角橋商店街は神奈川県で最も活気のある商店街です。昭和のおもかげを残す町並に、浜っ子の元気な呼び声が響くこの商店街。その活気は、生まれながらにして育った場所だから消えて欲しくない、という感傷的なものではありません。商圏として成功させようという前向きな意気込みで成り立っています。その証拠にマクドナルドもあればドトールコーヒーもあります。大手が採算を見越して出店しているわけです。立派な、商店街という商圏として育てています。少々乱暴かもしれませんが、私はこう思いました。「いい商店街には、マクドナルドがある」
 街の観察というのは、部外者の方がやはりよく見えるのでしょうか。私は生まれも育ちも茅ヶ崎ですが、この茅ヶ崎の街の魅力というのが、とてもぼんやりとしているんです。「海・・・あと何かあったっけ?」的な感じですかね(笑)。ここに住む人には、住む人なりの、茅ヶ崎の魅力というのはあるのでしょう。私にもあります。しかし、先の商店街のように、外の人々をウエルカムするようなサービスやシステムというのはあまりありませんね。これではなかなか外貨を獲得できません。もっとも潤う街にするためのサービスやシステムを、みんなで考えることが必要に思えます。
 たとえば、こんなのはどうでしょう?行政がつくる安い駐輪場のように、誰でもが利用できる安いサーフボード置き場を計画する、なんていうのは?サーフショップの管理料って意外に高いのだと聞きました。より多くの県外サーファーにも来てもらって、内需拡大を計りましょうよ。

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2011年1月

 

 皆様、あけましておめでとうございます。本年もエバーグリーンホームを何とぞ宜しくお願い申し上げます。
 と、続けて何かおめでたい話でも、と思っていましたが、のっけからちょっと重い話になります。おつきあい願えればと幸いです。
  年明けから、私は社内でスタッフを諭してばかりいます。ちょっとしたスタッフの甘さを発見するにつけ、その人間を諭さずにはいられません。大人げなく大きな声を出してしまうこともあります。他のスタッフの面前で私に諭される人間はたまったものではないでしょう。よくわかっています。しかし、それが私の仕事でもあるのだから仕方がありません。自分でもわかるのですが、社内で私は年明けからキリキリと近寄りがたい雰囲気をもった人間になっています。心は痛いですが、私がやらねばならないことです。
  今、私の心中に底知れない危機感があるのです。それは全く同じものではないにし ても、エバーの歴史の中に幾度となくあった危機感と、どこかが同じ類のものです。業績やお客様の信頼は頂戴しています。しかしそれは今や頂戴して当たり前のことで、だったらそれでいいじゃないか、ということではないのです。それなのに、少なからず、だったらそれでいいじゃないか、という安堵の風が吹いていることが気が気でなりません。追い風は船を楽にします。しかし緊張はといてはいけません。
  人間というものは、欲の張った生き物です。私も同じです。有能なスタッフが10のことができるのなら、次はその10の質を上げることを望みます。そして次はそれを15にすることを求めます。エバーのスタッフは毎年毎年、より多くの方に期待され続けています。会社全体のレベルが上がり続けています。自ずとスタッフのレベルは上がり続けないといけません。「これでいいんだ」と思ってしまったら、現状維持どころかレベルダウンするのです。
  私は、進歩し続ける人間が好きです。自分もまだまだそういった人間でありたいと努力しています。仕事に甘さを持たず、昨日より今日、今日より明日、お客様のためにいい家を提供するための工夫や努力をし続け、そして最後には満足し笑いながらお客様やスタッフといい酒を飲みたい、そう願っています。満足にゴールなどありません。
  充分に、充分過ぎるほどに、考えていることと思う。しかし、そこであえて苦言を呈します。小さなひとつひとつの仕事に対して、自らに問うて欲しい。何故そうするのか?確かな理由があるか?ほかに検討できる対策はないのか?自信があるか?
  君がそれをすることで、君は今が10でも必ず15できる人間になれる。君は、流されることもなく、言い訳も必要としない、強い人間になれる。いい家は、きっと、強い人間にしか作れない。
 エバーのスタッフ各位。
 気を引き締めよう。
 いい家を作り続けよう。

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2010年12月

 

 マツダがすごい車のエンジンを開発したそうです。読み知るところによると、リッター当り約30キロ走る画期的な低燃費エンジンであると。シェアの大半を占める低トルク車のエンジン開発に非常に大きな一石を投じたことになります。マツダはかつてもロータリーエンジンという自社独自の開発エンジンを市場に送り込んだ輝かしい歴史があります。信じた我が道をゆく技術者精神というものがそこに息づいているように思えました。今回はそこに社内事情も手伝ったようです。マツダは密接な関係を持つアメリカのフォード社からハイブリッドエンジンを購入せざるを得ないことから、自社内での独自的なハイブリッドエンジンの開発は行えなかったそうです。しかし、それが逆に功を奏し、全く新しいスタイルのエンジンが生まれた要因にもなったということ。しかし、やはりそこには社風というか、ロータリーエンジンを彷彿するような根本を見据える議論がなされたからなのでは、と感じます。業界全体がハイブリッドエンジンの限界力のアップや付加価値探しに時間と労力を費やす中で、マツダという会社はトレンドに流されることなくエンジンというものの根本部分の見直しを進めていたわけです。
  全てにおいて「根本を見直す」という行為は必要なことです。それは言葉を換えて「原点に帰る」とも言われます。マツダのように、エンジンという根本から見直していくこと、それが周囲の出来事全体を根本から良い方向に持っていきます。世の中の動きに乗ることだけを考えて、事の発端(原点)を考えないで済ましていると、当然ですが根本的に良くなんかなりません。
 根本を見直せる人とは、どんな人でしょう?私は、逆境にいる人や、逆境を知っている人ではないかと思います。窮地にいる中で一つの信念を見出そうと必死になって、やっと見つけた信念は貫くまでやり通すしかない人です。仮にその人に頼るべき資本があったなら、たとえ窮地に立たされてもその資本が救ってくれるかもしれません。だから、お金なんかない方が、人は何かを成すのではないかと、私は思います。私の仕事でいうなら、根本を見直すということは、お客様の声に常に立ち帰るということです。「猪狩はまたずいぶん格好いいこと言って」とお思いになるかもしれませんが、広告を行わないエバーがどうやって生き残っていくか、それはお客様個々の評価と、その評価がまた別の誰かに広まっていくよ効果からでしか導き出されないものであるからです。売上げの数字のようなものは二の次です。まず満足していただく家をつくる、それが一番でなければ、エバーという会社はたちどころに消えてしまうのかもしれません。
 マツダのニュースが個人的にやけに心に残ったのは、決して気を抜いてはいけない自分の立場を、あらためて実感させられたからなのかもしれません。先日、エバーの営業のHが、私のことを他人にこう話していたそうです。「うちの社長は、ほかの会社の社長みたいに接待やらゴルフやらで会社を空けたりしないし、ほかの会社の社長がしないような現場廻りを毎日のようにやっている。とても“まとも”だと思う。」・・・苦笑。そうか、とりあえずスタッフからは“まとも”に見られているわけか。少しは安堵しましたが、それ以上に恥ずかしい気分になりました。Hよ、頼むから、これ以上外部には変な褒め方をしないでくれ。

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2010年11月

 驚きましたね。そうです、尖閣諸島の映像流出事件です。あの映像を世間に公開した彼を、政治思想のない一般人のひとりとしてはただ単純に「英雄」だと感じました。あの行為は事後の予測をあの人物なりに立てた上でのことのようですね。激情や衝動に走っているものではないようです。法を犯したという結論が出れば、それは良くない行いをしたということになります。しかし、それとは別にピュアな感情というものはあるもので、多くの人の心は彼に味方しているように感じ取れます。そして、これからは責任逃れの合戦が繰り広げられます。しかし私達はそれを冷めた目で見つめるでしょう。大切な問題はそこではないと知っているからです。そんなことはもうこれから通用しないと知っているからです。
  この事件からあらためて露呈される感情があります。この国への不安や失望です。大方にはぼんやりとした形で「大丈夫なのか、この国は・・?」という言葉がいつも心に貼りついています。国民の政治への参加意識が薄いのは、政治に参加したところで当の政治家は何も変わるはずがないと落胆しているからです。だから余計にあっちは勝手にやっています。今日も引きずり合いの椅子取りゲームや見当違いの罪人探しをしています。それどころじゃないでしょう先生方?あなたたちがいつまで経ってもそんな風に責任をとらないでいて、ほかの誰が責任ある態度で問題にのぞむのです か?この国の責任者は誰ですか?リーダーは誰?そんな私達の声は届きません。耳栓でもしているのでしょうか。
  「人の振り見て我が振りなおせ」と言ってはあまりにスケールが違い過ぎますが、リーダーシップとは何か?そういったことが、こうした最近の風潮から学んでいけるような気がします。私レベルで整理をしますと、まず、エバーがまず第一に考えるべきは顧客益です。顧客益はバラバラの発想ではまとまったものとしての利益を顧客に与えることができません。だからそこにはリーダーが必要であり、スタッフを統率し顧客益を俯瞰するためのリーダーシップが必要になります。これが会社のかたちであり、エバーのかたちです。統率の方法にはそのリーダーによって千差万別あるでしょ う。さて私の場合はどうかというと、一番大きな特徴は「人に任せることができない」という点です。これは私の性格に大きく影響していることなのですが、「後は君達に任すよ、よろしくね」などと言って格好良く現場を立ち去るような社長像を演じることがなかなかできないでいます。
  決してスタッフを信頼していないわけではありません。むしろ全員が信頼に値する人物ばかりです。それでもやはり自分の目で逐一チェックをしないと気が済まない。自分でもホトホトあきれますが、やっぱり好きなんですね、家をつくるということが。情熱というやつです。それだって立派なリーダーシップの資質だと思います。仕事が楽しい、リーダーにはそれが必要だと思うんです。それが国というとてつもなく大きな組織になった時のことなんて私には想像つきません。だけど、基本は同じなんじゃないのかなあ・・?
  情熱、ないですね、今の政治には。快活で情熱的で「政治が楽しくて仕方がない」、そんな日本のリーダーを待ちわびます。ニュースを見て「いいぞいいぞ!」なんて応援できる人に、私は会いたいんです

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2010年10月

 四半世紀前につくられたニュータウンが、徐々に活気を失っています。大手が手がけた大規模な住宅分譲地が、やはりそれまでの歴史と同じ運命を辿るかのように見えます。そのような着手がかからないここ茅ヶ崎では、あまり体感できないような現象です。ありがたいというべきか。老いゆく町は、どの町もどこか気味のよくない印象を残していきます。水を打ったような静けさの高層住宅は無意味にそびえ立ち、かつて栄えたショッピングセンターは時代が止まったままのように押し黙っています。色もかたちも揃った民家は、規則正しく並べられたまま、例外なく均一に、最後まで個別に自己主張をしないまま古くなっていきます。見晴らしのよい交差点からふと周囲 を見渡すと、広い道幅の東西南北のどこにも人が見当たらない光景に出くわしたりします。あの頃、未来に大きな夢をもってここに暮らしていた人々は、ここで今、何を考えて生きているのだろう?均一なままただ古くなってゆく世界の中で。町って、はたしてこんな風に刹那的なものなのだろうか?
  幸いに、エバーをとりまく町並みはどこもそれぞれに魅力的です。ホームタウン茅ヶ崎をはじめ、鵠沼、鎌倉、逗子、葉山・・・それは海があるから、という単純な理由で言っているのではありません。町並みそのものが魅力的です。おかしいな?どうしてなんだろう?と思います。よくよく考えてみると不思議ですよ。道が狭かったり、路地が入り組んでいたりして、どこも決して便利のいい町とは言えませんよね?スーパーや学校だって不便な地域はたくさんあります。それなのに皆に愛され、移り住む人が後を絶えないのです。便利であることは、暮らす上で最も譲れない条件では決してないようです。じゃあ何が魅力なんだろう、と考えてみます。
  町というのは、誰かが無理やり整理整頓してはいけないものなのかもしれません。通りも、家並みも、勝手気ままな方がいいのでしょうね。人と同じように、ある家が老いればある家が生まれ、時間の経過とともに規則は生まれ変わってゆく、それが大切なのかもしれません。どんなものでも、他人がつくったものより自分がつくったものの方が愛着があります。私たちの町には、過去永久のとりとめのない愛着がどっさりと積み重なっているわけです。
  全国の皆さん。湘南と呼ばれる町に住む私たちはよく、私たちの町のこと、悪口を言います。鎌倉の人は「不便だよ、やめたほうがいいよ」、鵠沼の人は「住みづらいよ、やめたほうがいいよ」、茅ヶ崎の人は「田舎だよ、やめたほうがいいよ」とかとか。それって、おおかた愛着の裏返しです。鵜呑みにしない方がいいですよ。

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2010年9月

 アルミシャッター業界の不正が浮き彫りになりました。価格を不当に釣り上げるために闇のカルテルを結んでいたのです。施主の被害の総額というのは巨額です。実際に私も過去に「値段が違い過ぎる、おかしい・・」と思ったことがありました。エバーとしては、一会社の企業内努力として常に仕入れに目を光らせていますが、しかしそれは我々の努力の範疇を超えたところでの悪事であり犯罪行為です。いちばん損をするのは誰か?その不正に対して回収することもできず、泣き寝入りするのは誰か?それはまさしく施主です。
  このアルミシャッター業界の不正に関わらず、悪いことを行った側の罰というのは、失笑しか浮かばないような軽さです。申し訳なさそうな顔をして深々と頭を下げ、社長の首がひとつ飛び、刑事罰として命ぜられた罰金を払います。信用は無くなりますが、いずれまた何食わぬ顔で残った者は商いを再開します。「この度は上の者が不始末を・・」とか何とか言いながら。それで一件落着です。毎度毎度それでいいのでしょうか?消費者の気持ちはそんなところではおさまりません。家に来て深々と頭を下げ、心からの謝罪の言葉と、騙し取ったお金をきちんと返却するくらいのことをしてくれないと。そもそもが法的な罰則金程度で済んでしまうから、このようなことが世の中から消えないだけで、罪はもっと重く(否、正当に)すべきなんです。騙し取ったお金はそっくり被害者に返却するくらいの罰則は道義的に当然だと思いませんか?そうしないと、損をする者はいつまでも損をする、騙したもん勝ちの悪しきスパイラルは永遠に解消されないもではないでしょうか。
 それは世間に転がっている予測できない札、ジョーカーのようなもの。そのようなババを我々はいつ引くのか?一寸先は闇です。守るべきは自らの見識と知恵です。ちょっと考えればわかること、疑問に思うことを、ちょっと考え、疑問に思うことです。「長期優良住宅か、なるほど、それは素晴らしい!」ダメダメ!いけませんよそんなことじゃ。素直過ぎます(笑)。本当にそのスペックほどに鉄筋や構造材が必要ですか?その資源の無駄使いが地球を苦しめることを想像できませんか?基礎のコンクリの寿命はおおむね50年と言われています。寿命が来たら大型のクレーンで基礎部分を取り換えるのですか?そこまでの保証もしくは約束はどうなっていますか?
 第一、50年後、100年後のことなど想像すらできませんよね。50年前の人が今の社会を想像できないのと一緒です。しかし、そこに唯一、将来への保証を創り出すとしたなら、たとえばそれが家であるなら、最も大切な保証とは何だと思いますか?それは、建てた家が、壊れることなくきちんとあること、それが究極です。契約書の文言をこねくり回すことも必要ありません。長期なんたらとかいうまやかしのセールストークで丸めこむことも必要ありません。さらに言うなら、エバーという会社が存在しなくなろうが、関わった職人が存命でなかろうが、建てた家さえ壊れることなくきちんとあれば、そういう家さえつくることができれば、その他の保証も逃げ口上も一切無意味です。
 エバーという会社は、お施主様にとって究極の保証を与えるべく、そこに向かっています。綺麗事ではなく結果を出すことが全てだと思っています。これは基本的な理念です。しかし、それがあるのとないのとでは、つくるものは天と地ほどに違うと私は思うのです。

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2010年8月

 毎年恒例のエバーの地引網が行われ、何事もなく無事に、そして想定以上に楽しく、幕を閉じました。今年はいつになく賑やかでした。なにしろ人数にして何と500人以上の方に来ていただけたのですから。昨年の来場者数が300人に満たない程度でした。その数だけでも相当に盛大だったことがおわかりいただけると思います。この夏の好転にも恵まれ、まさに夏休みの楽しい一日。お施主様、関係者の皆さん、さぞかし陽に焼けたのではないでしょうか。
  そして、嬉しいことはまだありました。数年ぶりにシラスが大量に獲れたのです。いいことは続くものですね。これで面目が立ちました。獲れたての生シラスを嬉しそうに頬張る参加者の皆さんの笑顔を見て、救われた気持ちです。「地引網をやり続けてきて本当によかった」今年は心底そう感じました。
  毎年、歴代のお施主様や、お世話になっている関係者の方々を招いて催される地引網は、ただただ、「夏の一日をみんなで遊ぼうよ!」というお気楽なものです。しかし会社の長である私にとって、心持ちとしていくつかのテーマのようなものもあります。
  ひとつは、子供たちがどれだけ大きくなっているか、を楽しむことです。家を建てた時にはまだ赤ちゃんだった子が、毎年確実に大きくなっていくのを観察するのはとても楽しいこと。気がつくと私はよく叫んでいるようです。「え!?もうこんなに大きくなったの!?」と。毎年毎年、あいも変わらず叫んでいるようなのです、私は・・・。だけど、それが楽しい。その家の、そのお宅を建てた時のことを思い出したり、その時のご家族とのエピソードを思い出したり。お施主様の皆様を、私は何だか勝手に同窓生のように見立てて、勝手に同窓会を楽しんでいるような気分なのです。そんな風に思っているスタッフも、きっと大勢いるはずです。
  そしてもうひとつ、私なりのテーマとしてあるのは、地引網に来ていただくことで、エバーという会社に大きな安心を感じてほしい、ということです。世の中、会社が突然消えてなくなったり、責任ある者がある日突然にケツをまくるようなことが日々平気で行われています。けれども私たちエバーは、今年もこうして生き生きと会社をやっています、と伝えていきたいのです。お施主様とは、家ができた時から本当のお付き合いが始まると思っています。これからも一緒に生きてゆく上で、余計な心配はかけたくないのです。
  だから、地引網って大切な行事なんです。
考えなしに皆様に壇上でコーラ一気飲みをさせているわけではないのです。笑

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2010年7月

 サッカーのワールドカップがとても盛り上がりました。前評判の良くなかった日本代表チーム、蓋を開ければ素晴らしい内容を残しました。アウェイで初の予選リーグ突破、その結果だけを取ればふがいないと思う人もいるでしょう。しかし日本のW杯での歴史はたかだか10年余り。ブラジル、アルゼンチン、ドイツ、イングランド・・・そういった強豪国が背負ってきたものとは時間も重みも違います。むしろ結果よりも、今回は試合内容です。みんなでひとつになってボールを奪って、ひとつになって点を取りにいく。レギュラーも控えも関係なく、みんなが願いをひとつにして全ての試合で全力を出しました。ずるがしこくなく、正々堂々と、ただひたむきに。だから感動を誘ったんですね。心から応援したくなったのですね。今回は負けたけど、次はきっと勝って欲しい、そう思わせてくれました。

 そしてテレビのニュースは次の話題に移ります。そう、日本相撲協会です・・・。ここ数日はサッカーと相撲協会という、真逆の性格の報道がテレコで流されました。こちらはというと、ずるがしこい、の最たるもの。言い訳ばかり、なすり付けばかり、保身ばかりが見え隠れ。かしこいことは大切です、けれどあんな風にずるがしこいのは見ていられません。知恵も体も全力で向かっていったのがサッカーで、ずるがしこく逃げ回っていたのが日本相撲協会。
  応援したい人とはどんな人か、応援したくない人とはどんな人か、非常に対照的なコントラストを感じました。

 勝負事は、いや勝負事に限らず、世の中というものは、勝ってなんぼです。勝たないと次がありません。勝てば何でも言えます。けれども、ずるがしこく勝った人には、後がありません。困った時に誰も救いの手などさしのべてくれません。ずるがしこく勝つくらいなら、正々堂々と負けた人の方が、まだましです。「次に勝てばいいよ」と、みんなが応援してくれる人達がいるからです。

 スペインとオランダ、勝ったらどちらもワールドカップ初優勝。この原稿を書いている時点で私はまだどちらが王者となったのかを知りません。けれども結果は明白です。1チームは試合に勝つチーム、そして残りの1チームは負けたけど次に勝つチームです。だって、次はもっと大勢の人が応援してくれるはずだから。そう考えると、一生懸命にやって負ける、それもなかなかいいものです。

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2010年6月

 最近、珍しくよく休みをとっています。元来の私は仕事が趣味のような面白味に欠ける男です。定休日やお盆や正月は普通に休みますが、それだけで十分足りていたし、仕事があれば三が日だろうが働いてきました。特別な自分だけの休みはあまり欲しいと思いませんでした。これといった趣味がなく、自然と仕事が趣味のようになっていました。そんな私が、最近はよく休んでいます。心境の変化でしょうか。しかし、どう心境が変化したのかはわからないのですが・・・。困ったものです。

 そんな私ですから自ずとよく働いてきました。働いて、働いて、少しでもお客様に良いものを提供したい、そのためには有能なスタッフもより多く取り入れたい、お客様が居心地のよい社屋も欲しい、そういったことで日々あくせくしてきた人生です。

 歳を重ねるごとに物欲がなくなっていくことは少しせつなさを感じます。ですが仕事に関しての欲は変わることなく後から後から湧いてくるものだから不思議です。目標に行き着く前から、さらにその先の目標を見据えてやってきました。まるでゴールの定まらない長距離をゼエゼエ言いながら全力疾走しているような感じでしょうか。景色を楽しむ余裕もなく、ただ前へ、前へ、目先のゴールめざして、ハアハア、ゼエゼエ、と。ひょっとしたら、これからはそれではいけない、と思い始めたのかもしれません。景色を楽しんだり、空気の匂いをかいだり、時には立ち止まったり、そうやって走り続けた方が楽しいに決まっています。その後も走りも快適です。

 さて、エバーは今半期の決算を良い数字で終えました。完成内覧会も好評のうちに終了しました。そんな今、私は自分自身に向かって、「おい、そろそろ少しは休めよ」と言っているのかもしれません。休める時には休んでおく、今さらながら身をもって感じている気がします。

 ところで、決算の話が出たので、ついでに。現在エバーはおかげさまで好調ですが、私個人の望ましい数字としては、現状の10%の売上増です。それが実現すれば、スタッフへのフィードバック、全社的な能力向上への出資、ワンランク上の資材提供、などなど、お客様にとっても社内にとってもプラスになるビジョンが組み立てられます。さて、どうすれば?・・・と、こんな具合になってしまうので、来月辺りはまたもや全力疾走していそうな私です。

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2010年5月

 小川道場の実績から、小川直也さんの取り計らいにより横浜白楽にある「朝飛道場」(兼ご自宅)の建て替えをエバーが仰せつかることになりました。道場長である朝飛大さんと小川直也さんは明治大学の先輩・後輩の関係で、同じ神奈川県下で柔道を通しての健全な児童の育成に貢献なさっていることから、小川道場を設計施工したエバーの実績を伝えてくれたのです。うれしい限りです。

明治大学柔道部ホームページより、朝飛・小川・吉田他8道場による合同げいこの様子
http://www.meiji-judo.com/untitled_000.htm

 その「朝飛道場」ですが、今年、全国少年柔道大会で三連覇を成し遂げました。私としても喜びは最高潮です。50年の歴史ある道場が新しい道場に生まれ変わっていく節目に関わらせていただいているのですから、有終の美を飾るのと飾らないのとではまるで違ってきます。エバーが関わってせいで弱くなった、などと言われてしまっては悲しいです(笑)。晴れやかな気分で堂々たる新道場に携わらせていただきます。

 ところで、朝飛さんはエバーにお話をいただく前は或るゼネコンと若干の建て替え話を進めていたということです。このご時世に理解に苦しむ話だったので、これから家を建てようとお考えの方にも教訓になるかと思い、ご紹介させていただきます。

  そのゼネコンは軽量鉄骨ニ階建ての簡素な見積書を一枚出し、その予算ではこれしかできない、と朝飛さんに言ったそうです。これといった提案もなく、実情も踏まえず(知ろうともせず、と言った方が正しいでしょうか)道場側の希望も、ご自宅としての要望も、それはできない、それはできない、と「NO」の一点張りだったそうです。間取りも生活導線も考えられていない有り様でした。それだけでなく、支払う必要のない三分の一の着工金まで要求されたそうで。そして・・・そのゼネコンは二カ月後に倒産したそうです。何と言うか・・・。あの時もしも着工金を支払っていたら・・・そう想像すると冷や汗が出ると、今も朝飛さんはおっしゃっています。

    そんなことがあってから、我々は小川直也さんを通して朝飛さんをご紹介いただきました。エバーではある裁量のもとにRC造四階建てをご提案しました。道場とご自宅を兼ねるのですから、耐久性と快適性に優れたRC造がふさわしいと、普通に結論を出しました。また、道場経営も大変であろうと思い、資産価値を上げることも必要だと、普通に思案しました。賃貸収入を得るなどしてローンの負荷を落とすことも重要と考え、その機能も兼ねた四階建てをお薦めしました。初期投資は増えますが、二階が四階になったところで建築費が倍になるなどということはありません。むしろ資産価値を上げるというビジョンを組み入れたので、銀行も融資がしやすくなりました。結果として、当のゼネコンが提示したものに比べて面積は倍になり、賃貸の住居が足され、設備が増え、構造が軽量鉄骨からRCに変わり、それでも5割程度の増し分で済ませたプランに、朝飛さんは大変喜んでくださいました。以上、決して自慢などではありません。むしろお客様の将来を普通に考えれば、建物をつくるプロであれば自然と考えうる提案だと思います。お客様の得を考えることが、つくり手の得になる。商売の原点です。

  それでも朝飛さんは今、我々との新しい道場づくりの共同作業に「楽しくってしょうがない」とおっしゃってくださいます。全国少年柔道大会三連覇、我がことのようにうれしいです。新たな出発にエバーが関わらせてくれていることに、大きな誇りを感じています。

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2010年4月

 今月でエバーグリーンホームは15周年を迎えます。正直な思いとしては、なんとかやってこれました、といった心境です。その間ずっと景気も低迷状態、バッドコンディションの中、よくがんばってこれたもんだ、と振り返って感じます。しかし考えようによっては、この時代を乗り切れたことは自信にはなったのかもしれません。実に多くの方にお世話になりました。本当にありがとうございました。これからもエバーをよろしくお願いいたします。

 時を同じくしてこの春、鳥海シェフのお店「ラ・ターブル ド トリウミ」もこの茅ヶ崎の地で10周年です。個人のブログにも書いたことなのですが、鳥海シェフは私なぞがあらためて言うまでもなく一流の仕事人です。一緒に居させてもらうだけで自然と勉強をさせてもらっています。またシェフの大磯のご自宅はエバーによるものです。お施主様でもあり、人生のお手本でもある。ありがたいことです。

 ところで、建築業は「一代三十年」とよく言われます。創業者の現役寿命が転換期になり、そこから先は組織化がうまくいって継続されるか、はたまた会社として終わりとなるか、どちらかであると。後継者の問題というのもあります。そう考えると、私の役割はもう半分終えたのか。スタッフに恵まれ会社も軌道にのって、お施主様からたくさんの感謝をいただいてはいますが、半分過ぎたと考えると「待ってくださいよ、私はまだまだ学ばなきゃならないことなかりですよ。」と、無慈悲な時間というものに逆らいたくなってしまいます。

 この15年で、エバーにはある大きな持ち味ができました。それは会社全体に完全なお客様本位の姿勢が浸透したことです。ノウハウとかマニュアルとかいったものではありませんよ。姿勢です、心の有りようです。お客様の立場にたって考える、当たり前のことですが簡単なことではありません。親が子をみて育つように、それは私から中堅へ、中堅から新人へ、と引き継がれ、いつしか社風となりました。デザインにも仕様にも、全くの新しいオリジナリティなど存在しない現代。模倣し応用することを「デザイン」と呼ぶ時代。本当に正しい意味で企業のオリジナリティというのが出しにくい時代です。では何をもってオリジナリティと呼ぶのか。それは、少しでも多くお客様のために努力をするという、姿勢です。お客様本位、それを絵空事でなくきちんとかたちにする、それこそがエバーのエバーらしさです。

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2010年3月

 福山雅治さん演じる坂本竜馬が今年は人気者ですね。ドラマでも描かれている通り、竜馬という男は典型的な大器晩成型です。実像は中学生くらいの年齢までおねしょをしていたという話も。家族もつくづく将来を憂いていたと聞きます。それが人生の後半にメキメキと頭角を現し、やがては日本を背負って立つ大物へと成長していきました。強いだけではない、優しいだけではない、その両方を兼ね備えた男に。そんな男だからこそ、彼は今の時代にあっても抜きん出て男達の憧れの存在なのでしょう。
ところがどうでしょう、今のこのご時世に竜馬という男がもしいたら、やはりあの頃と同じく、歴史に残るような大人物と成り得たかどうか?う~ん、おそらく無理でしょうね。竜馬に限らず、大器晩成型の人間は生きづらいでしょうね。
バブルの崩壊から日本は大きく雇用形態が変貌しました。会社主義から個人能力主義へと。上司の命令をそつなくこなしていれば安泰だったはずが、組織という頼れる存在を失ってしまいました。自分を助けてくれるのはもはや自分だけ。成果を残してなんぼです。その傾向は今だ濃くなっていく一方です。
利益を作り続けることができなくなったら、容赦なく、ハイおしまい。かつて流行った「今日がだめなら明日があるさ」という歌は、「今日がだめなら明日はないさ」という歌詞に書き換えないと成り立ちません。「コイツはいつか大物になる」と人を信じて猶予をつくることができないなんて、私としてはせちがらい世の中に思えます。竜馬だって、周囲の猶予が彼をあれだけ大きく育てたのですから。
悲しい現実ばかりを嘆いてみてもしょうがなく、最近の良いところを考えてみると、そんな時代だから皆、若いうちから個々に問題意識を抱えている点です。エバーのスタッフは皆が若いのですが、年長の私が感心するほど、日々自らの成果をいうのを貪欲に追い求めています。理由は簡単です。そうやっていかないと、誰も助けてくれないからです。
明るくて気のいい面々ですが、内面は今の自分では満足できない沸々としたものを持っています。自分に満足しては終わり、という 感覚を、宿命的に背負って生まれてきたからなのかもしれません。今のスタッフには様々なことを任せられるし、安心をしています。

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2010年2月

長く景気が芳しくないことから、国内の旅行業界も大きく変わってきています。今までのような慣習的な商売のやり方を打破して、本当に求められるお客様優位のサービスを提供することで活性への巻き返しを図っています。窮地に立たされたことで、ようやく目が覚めたといったところでしょうか。そうなった時のこの国というのは強いものです。そもそも場所、歴史、食、安全など、日本はサービス資源に恵まれている国。持ち前の機転できっといい結果を生むことでしょうね。私たちエバーもサービス業であらねばならないと思っています。「良い家だけをつくっていればそれでいい」という会社は、良い家などつくれないような気がします。なぜって、我々は、いい家をきちんと買ってもらえることが大切だからです。売れすぎはよくありませんが、売れることは大切です。テレビのインタビューで、世界的な金型の技術を誇る燕市の職人がこう言っていました。「いいものをつくるだけでは我々職人は報われない。いいものをつくって、それが売れてはじめて報われる。」いい家をつくり、いい家をつくる会社としてビジネス的に好循環となり、お客様も我々も皆が幸せにならなければなりません。これは本音であり、理想でもあります。 さて、そこで、前々から思っていたことがあります。 そもそも、どうして今、水曜定休なのだろうか? 今の水曜定休で不都合なお客様が少なからずいらっしゃるはずです。ご主人が水曜定休であれば打合せに支障をきたします。だったら水曜も営業日にした方がいい。なんだ、かんたんな解決策ではないか。 現在スタッフや関係者と詰めている段階ですが、今春を目標に、エバーは年中無休にしようと考えています。スタッフはその時々のお客様のサイクルに合わせ、休みをフレックスに取るような構想です。結果的にその方が出勤日の集中力が高まり、休日出勤も減る。お客様とのコミュニケーションが密になり、よりご要望に合った家が考えられる。自己管理が高まり、休日の計画が立てやすくなる。と、賛同の声も多くあります。旅行業界ではありませんが、エバーだって常に既存の通念に疑問を持たなければなりません。 良い変革は、どんどんしていかなくてはなりません。サービス資源が豊富な国に、私たちは生きているのですから。

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2010年1月

 デザインは機能の先にあります。逆を返せば、良いデザインとはふさわしい機能を有したものでなければなりません。
窓ひとつをとっても、なぜここに窓が必要なのか、なぜこの窓はこういう材質でこういう大きさなのか、という問いに、つくり手が明確な答えを持っていないとなりません。
「どうしてここに窓が必要なんですか?」と問われて、「いや、そういうものだから・・・」などといい加減に答えるつくり手がいるとしたなら、そのつくり手は何も考えていないということです。人間というのは実に不思議なもので、何かをずっと見続けていると、どういうわけかそれがそこにあるのが当たり前だと感じます。必要のない場所に窓があっても、それを見続けているうちに、模倣をすることだけはできるようになってきます。しかし、理由のない窓など、デザインとは呼べないのです。残念ながら、そんな模倣家がつくった家は数多くあります。残念です。
  昨年、エバーは総力をあげてモデルルーム「VILLA EVER」を完成させました。エキスパートが集ってああだこうだと考え、悩みながらできていったその家は、はからずも和の風合いに満ち満ちた空間に仕上がっていきました。(画像はモデルルームのページにあります。)そこであらためて感じたことは、日本の伝統の工法が持つ優れたデザインです。大きさの理由と小ささの理由。広さの理由と狭さの理由。高さの理由と低さの理由。在ることの理由と無いことの理由。・・・どんなに些細なことにも意味を感じることができました。否、いかに些細なものであるからこそ意味があり、そこに明確な機能性がある、これは広大な土地と石を主体とした欧米の建築文化とは土壌の違う、研ぎ澄まされたデザインの意味、意義です。
 和の回帰。これは多かれ少なかれ、振り子の行ったり来たりのように現象として揺れ戻っていることですが、今まさにこの動き「和の回帰」を感じています。ざっくりとした広さや抜けの良さといった空間の嗜好が、緻密さを追い求める風潮へと移り変わってきているように、私はいま感じています。デザインが、より厳しく問われる時代です。

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2009年12月

先日、亀井大臣が電柱の地中埋没に関して予算獲得に積極的に取り組みたい、というような内容の発言をしていましたね。電柱だらけの醜い日本の町並みがそのようなことになったら、どれだけ美しい国になるのだろう・・・そんな景色を私は想像していました。事業のムダを衆人監視で省いていく、昨今の試みはとても素晴らしいことだと思っています。しかし、世の中はどうも「つくっちゃいけない」「これ以上つくることにお金を使うな」みたいな風潮になっています。「つくることそのものが悪いわけではないのに・・・」なんて私は呟きます。だって悪いのは、つくることではなく、つくる理由ですから。天下りする役人たちの受け皿みたいな箱物、つくったことよりも凶悪な維持管理の莫大なコスト、そういったよこしまな考え方とか従来システムが悪いんです。いいものは、新たにつくることも、在るものを見直すことも、必要です。そこには必要なお金をかけるべきです。
優れたデザインの家をつくるという、それだけが我々の指名ではありません。あるいは、そういう同業者がもしもいるとするならば、この今の時代にしては手前勝手過ぎるし、了見が狭いなぁ、なんて感じてしまいます。環境に対する先代のツケを自覚しなければいけないはずです。住むという行為を大きく環境のひとつとしてとらえ、時代に合った家づくり=環境づくりというものを行なっていかなければならないと感じています。そう、今や家づくりは環境づくりです。在るものを失わないようにする。そこに新たな命を与える。そこで、エバーではこのたびリフォーム事業をパワーアップしました。
たとえば、中古住宅を購入するとします。その場合、その建物が住むための一定の安全性を満たしていれば税金の優遇措置を受けることができます。税金の優遇措置を受けるためには、確かな技術者の耐震診断を受け、不足な部分は補強します。そうすることで税金は抑えることができ、そしてもちろん安心してリフォームすることができます。このたびエバーでは、そのような「お墨付き」を得られる耐震診断と補強工事を行なうことができるようになりました。(木耐協=全国に組合員1000社をこえる日本木造住宅耐震補強事業者協同組合への加盟)リフォームの必要性を高く感じ、確かな技術をもち、そのノウハウにさらに磨きをかける、そういったことへの約束です。お施主様においては、ますますエバーへの信頼度を高めていただけるための証です。新築を建てるということに意味があるのと同じく、今あるものを大切にし、直すところは直して失うものをなるべく少なくしていくことも、意味があることだと思います。

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2009年11月

「今月の猪狩裕一のコラム、寿司屋の話Part.2」

今回もお寿司屋さんの話になります。恐縮です。

ついに知人がこの茅ヶ崎で寿司屋を開店することになりました。場所は中海岸。目抜き通りからひとつ奥まったところに入った閑静な住宅街の中です。前回お話した「初音鮨」のように、味にこだわりをもち、本当においしいお寿司が食べたいと思う地元の人のためのお店にするということです。店の切り盛りは店主ひとり、小さな空間ゆえに全てに目が行き届くようにしたいということ。贔屓にしてくださるお客様にとって、大切な時間を過ごす店になることをめざして。とても嬉しくなりました。店舗デザインをエバーが行ないます。ご主人の心意気に負けない空間創りを手がけるつもりです。

お寿司って、私が子供の頃は間違いなくごちそうでした。今のように子供でも気安く食べられるロードサイドのチェーン店などなかったですから。時代は変わるものです。今は「なかなか手が届かない寿司」と「いつでも食べられる寿司(のようなもの)」の両極端になってしまいました。二極化、ですね。たとえば昔はあった地元の贔屓の一軒寿司屋のように「無理せず行けて、満足できる」そんな中間のゾーンの店が衰退し、減っていく一方です。会話も近所のよしみで肩がこらず、値段も気にせずそれでいておいしかった、話を追っていくと同窓の輪ができていたり・・・そんな店です。昔はもっとあったはずです?どうして減っていくのでしょう?・・・

寿司屋の二極化に似た現状があります。家づくりも二極化が著しいようです。建築業、家づくりの実態も、「お金をたくさん持っている人は名うての建築設計事務所へどうぞ!そうでない人は(カタログを見せて)こちらからお選びください!」といった、ふるいで二つに分かつような現状です。高級寿司店が無理なら、ロードサイドの回るお店の中からなるだけましな店を探すような現状です。昔はそうではありませんでしたよ。良心的な値段できっちりいい仕事をしてくれる、そんな中間的な存在が近隣にちゃんといました。細々とであっても職人としての誇りが人一倍あって、必ずいい仕事をしてくれる人達がちゃんといました。

エバーは、気軽に相談できる町の建築屋でありたいと思っています。多人数ではないけれど、いい仕事ができて、地元の信頼があって、重宝される存在に。とかくデザイン性での評価を高くいただいていますが、私達自身はむしろ真逆かもしれません。ひとり残らず額に汗して働いていますから。(猪狩裕一)

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2009年10月

寿司屋を開業する知人から、どういう店にしたらいいか、と相談を受け、エバーのお施主様で親しくさせていただいている鳥海さん(茅ヶ崎「ラ・ターブル ド トリウミ」シェフ。ご自宅をエバーが設計施工させていただきました。)にご意見を伺ったところ、とある店に誘われ案内をしていただきました。そこは、蒲田にある某寿司店で、ご主人と奥様だけでこじんまりとやられている店でした。

店内はお座敷のないカウンターのみの8席。つまみはなく握りのみ。注文は基本的にお任せのみ。握りの仕事は随時変わっていき、生はほとんどなく、鮪も大とろに至るまですべて深めのズケ。秋刀魚などもワタがかましてある。・・・寿司通であればこの時点で「あっ」とお思いの方もいらっしゃるでしょう。

人間性は、言葉遣いのまず最初のひとことで伝わります。そして態度、服装からも。ていねいに、しかし堅くはなく、店の主人が挨拶をしてくれます。着物を楚々と着こなした奥様が、自然で優しさにあふれた温かい対応をしてくれます。空間は新しく、言うまでもなく清潔です。そこには客をかまえさせるような頑強ぶりやある類いの店が醸し出すおごりのような鎧もありません。うまいものを食するのに適した環境が整っているだけです。この時点で私は確信しました。うまくないわけがない、と。その通り、握りもそれに合う酒も選択に揺るぎがなく、絶品でした。「この満足感は何だろう?・・・」そんなことを考えながら、鳥海さんとご主人の雑談を傍らで聞いていました。和やかな雰囲気の中で交わされる言葉の中に、極めた者どうしの高みのオーラがあり、私はただ感心するばかりでした。その店の名は、蒲田の「初音鮨」。ミシュランガイドブックに二つ星で紹介されています。念のため、決して寿司屋として目の飛び出るような金額の店ではありません。

世の中には難しい顔をしておいしいものを出す名店もあります。それをどうこう言うつもりはありません。しかし、私としてはこの初音鮨のような安らぎと美味を与えてくれる店がやはり好きだし、職業は違えど、そういう人をプロとして尊敬します。

魂をこめたエバーのモデルルーム「VILLA EVER」。完成した今でも、「あそこはもっとこうすればよかった」などと、今も性懲りもなく考えてしまいます。しかし画家がこれ以上手を入れないよう自らの絵にサインをするように、鳥海さんも初音鮨の主人も、世の匠はつねに自らで「見切りをつける」瞬間がその都度あるはずです。その時、やはり私と同様、性懲りもなくくどくどと考えてしまうものなのだろうか?それとも自信に満ちた鮮やかな見切り方であるのか?気になります。(猪狩裕一)

ラ・ターブル ド トリウミ

大磯「ドゥゼアン」元料理長で、「料理の鉄人」にて当時の"鉄人"中村孝明氏に勝利したことで有名な鳥海勝シェフの店。地元有機農家の新鮮で健康な野菜、この地に点在する魚市場ネットワークから供給されるとれたての魚介類を使った、てらわない料理、そして気のおけない雰囲気。私が真に匠だと感じるシェフのお店です。

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2009年9月

中海岸「VILLAエバー」の完成内覧会に多くの方にご来場いただき、誠にありがとうございました。この場であらためて御礼を述べさせていただきます。
エバーの家づくりがいかにていねいであるかを多くの人に実感してもらいたい、そんな気持ちを強くもって行われた今回の完成内覧会。無事終えた今、いつにも増して感動が多く残りました。のべ70組をこえる多くの方々にご来場いただき、ご覧いただけたことは、その最も大きな喜びです。また、それだけではなく、がんばったかいあっての嬉しい出来事はほかにもいろいろとありました。
そのひとつをご紹介します。それは「VILLAエバー」完成直後、関わった職人達と食事を共にしている時、彼らが口々に言った、この言葉です。

「自分があれだけやれるなんて思わなかった。」

人間誰しも自身の限界のようなものを勝手に定めてしまいます。けれども今回の「VILLAエバー」プロジェクトは、家づくりの楽しさや奥深さというものを、我々にあらためて強く感じさせてくれました。結果と同じくらいに、過程というものがいかに大切であるか。切磋琢磨した過程の先だけに、満足できる結果があるということ。あらゆることはとうに分かりきっているベテランの職人が皆、自身の技の限界に挑んだり、ふんだんに知恵を振り絞ったり、粘ってくれたのですから。個々がそれぞれの仕事の意味というものをしっかり考え、腕だけでなく、頭だけでなく、その両方をフルに駆使して一丸となっていい家づくりに取り組んでくれたのです。
「自分があれだけやれるなんて思わなかった」「いやあ本当にそうだ」「その通りだ」・・・ビールを片手に皆が興奮し、喜び合ったのです。エバーとともに働いてくれる職人は、高い技術と高い志をもった人間しかいません。その集団が今、またひとつ壁をこえて、そして心をひとつにした感があります。その変貌は、必ずやこれからの家づくりに結果を残すはずです。
未来のお施主様にも、我々はきっちりと言うことができます。「楽しみにしてください」、と。

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2009年8月

 ついに茅ヶ崎中海岸のエバー待望のモデルルーム「VILLAエバー」がお披露目となります。9/5(土)・6(日)は千客万来、どなたでも自由にご見学いただけます。ご近所の皆様、ふらっと遊びにいらしてください。湘南で家建てないな、なんてぼんやりとお考えの方、お気軽にどうぞ。リフォームのご相談もオーケーです、専門のスタッフが常駐していますから。エバーの完成内覧会のスタイルは、質問をいただいたらお応えするスタイル。こちらからむやみに話しかけることはないので、本当に気軽に来てほしい、そう願います。

 現地で見ていただきたいところは、本当にたくさんあります。私たちがこの「VILLAエバー」で伝えたいこと、それは「贅をつくした家づくり」ではありません。私たちが伝えたいこと、それは「ていねいな家づくり」です。お金をかければいい家ができるのは当たり前。私たちはそうではなく、知恵や技術を使い、ていねいにいい家をつくる、そういう会社であることをお伝えしようとしています。

そのために、細かなところまでよーく見ていただきたいものです。きっと「あれ・・?」という発見があるはずです。「どうして・・?」という驚きがあるはずです。その時は近くのスタッフに「これ、どうなってんの?」とお声をおかけください。しっかりとご説明いたしますから。

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