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President,s Column | エバー代表のコラム

President's Column | エバーグリーンホーム代表・猪狩裕一の思いをお伝えします。

年別アーカイブ:2006年

HEADLINE~道路交通法改正で違反も事故も減少

2006年12月

道路交通法改正で違反も事故も減少

道路交通法の改正から半年。駐車違反の取締りが民間に委託され、当初は民間のドライバーとの意識のズレや衝突はあったものの、時間を経てプラス効果 が徐々に現われていることが調べでわかった。

その効果とは駐車違反の件数が減少傾向にあるだけでなく、交通 事故も合わせて減少したという点。ある地域では人身をともなう事故を含め改正前より15パーセントも交通 事故件数が減った。その理由として最も多く考えられるのが、駐車できない場所へは車で行かずに公共の交通 機関を利用したり徒歩で向かう人が増えたことによる、車利用の減少そのものがあるという。

ライター(以下T):とても身近な話題です。

猪狩:今だに腹を立てているドライバーもいます(笑)

T:民間のおじさんに何か言われるのが腹立たしいと。

猪狩:「あなただって玄関先に勝手に知らない車が止まっていたら迷惑でしょ」って。今までが異常だっただけです。何のための「駐禁」標識だかわからなかった。

T:そうですね。あの標識だって我々の税金で立てるんだから、役に立たない「駐禁」標識なんて税金の無駄 ですから。

猪狩:それも面白い理屈ですね(笑)人間はルールがあっても「ああみんな守ってないのか、じゃあ俺もいいか」って、ついつい悪い虫が出る。今だにおかしいと思うこともあります。民間は罰金とられるのにゆうパックの配送車はいいらしい。そして巡回員も郵便局の車からは罰金を取ろうとしないらしい。それって法律的にOKなのかなあ。

T:モラルとしては最悪ですね。

猪狩:逆にね、今までの反省をバネに変える企業というのは実に強いと思うわけです。

T:というと?

猪狩:クロネコヤマトは今、駅前の空き店舗を借りて配送中継所を設けているんですよ。

T:へえ、気がつかなかった。

猪狩:そこにトラックを停めて、そこから先は荷車に乗せかえてせっせと運んでいますよ。人海戦術です。よく見かけますよ。それって仕方なくそうしている風にも見えるけれど、実はメリットがいっぱいあるんですよ。まずひとつは車両の出動台数が少なくて済むこと。ふたつ目は燃料費がかからないこと。それから、事故が減ること。まだあります。燃料を使わないから地球の温暖化防止、CO2削減に貢献できる。そして最後に、スタッフの健康管理。ふだんでも元気いっぱいのクロネコヤマトがますます元気になる(笑)

T:おお!(拍手)なんかまだありそうですね。

猪狩:これこそがまさに「企業努力」だって思いません?まさに「アイデア」ですよ。この話、私、新聞で読んで感銘を受けました。

T:ちょっとぐらいズルしていかないと・・っていう風潮があるじゃないですか。○○エモンとか○○ファンドだとかが出て来たりして、やりたい放題で。

猪狩:前総理の自由競争という発想は私はすごく好きなんですよ。ただね、ルールをちゃんと守ってやっている人が損をしたり、弱者を守れない国になってしまってはいけないでしょう。会社も人もこざかしいことなどせず堂々と努力とアイデアに精を出せばいい。

T:今のお話を聞いて、法定速度を遵守して高速道路を走っている企業の配送トラックをとても好意的にみていたんですが、何だかさらに好きになりました。スタッフに「こざかしいことなんかすんな」って言ってるんでしょうね。「俺たちは真っ当にがんばればいいんだ」って。

猪狩:「企業努力」ってそういうことなんですよね。こざかしいことじゃない。器量を映す鏡です。

T:人も会社も器量ですね。

 

※郵便局の小包集配について 1:現状はまだ公社につき公務となり、郵便小包は「郵便」として扱われている。そして2007年10月の公社民営化を機に公務ではなくなるので、一般の宅配便と同じ扱いになり国土交通省の管轄となるとか。 2:民営化に先駆けて、郵便小包の集配車の駐車禁止規制除外措置については早ければ2007年1月には解除される見通 し。

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信頼の三角関係

2006年12月

EverGreenHomeも、歴史を重ねてきた今になって、思わぬ 喜びを随所に感じることがあります。

最初に建てた時に「次も建てることになったら、その時もEverにお願いしよう」と早々に心に決めていたお客様がいて、今年になって再びご依頼をくださったり。(郵送無料の施工例パンフレットに、そのお宅は紹介されています 郵送のご希望はこちらで)

そうかと思えば、雑誌の取材をみて、培ってきた社の姿勢や私の考え方に共感をいただいて、それで訪れてくださるお客様がいて。(「湘南スタイルの家づくり」という雑誌にインタビュー記事が掲載されています)

どう言うか、その、こつこつと積み重ねてきた信頼の年輪のようなものが、知らず知らずに大きく育まれていた感じです。

そして、かつて家をお世話させていただいた方からの紹介でいらっしゃるお客様。これもまた宝物です。

EverGreenHomeは、ひな型をもたないハウスビルダーであり、お客様おひとりおひとりが気に入るプランを模索し発案することが信条です。
相手の方にはリラックスしてもらい、言いたいことが何でも言える関係を築く努力をしています。とはいえやはり人間どうし、いきなりざっくばらんにというのは難しいかもしれませんね。
一方、ご紹介で来社される方というのは、えもすると会った時から互いに心が開いているんですね。さぐり合いの緊張感などなく、いきなり言いたいことを言ってくださるので、こちらとしてもポジティブな緊張感に包まれます。
信じている人が、信じている人に、信じている第三者を紹介するという行いは、すぐに信頼のトライアングルが築かれるんですね。とくに我々の場合は、全く利害関係のないところで三角形の最後の角に選ばれます。とてもピュアなトライアングルです。

できうることなら、そうして生まれた信頼関係に報いるために、家が建つまでの全過程、その全てを私ひとりで管理管轄したいと思うところです。
しかしそれでは主観が邪魔をする部分もあるし、第一、社内には有能なスタッフ揃いの今です。進行に関しては設計室や現場の面々に任せ、気づかぬ子細な部分を厳しい目で見張ってゆくことこそ私にしかできない役割だし、全てにバランスのいい結果にもなります。
ひとつの家を築き上げるために、適材適所でブレーンがいる現状なので、これからますます、信頼関係の輪がふくらんでいくような予感がします。

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HEADLINE~トヨタ営業利益2兆円突破の見通し

2006年11月

トヨタ、営業利益2兆円突破の見通し

トヨタ自動車は、来年3月期の営業利益が国内の企業で初めて2兆円を突破する見通 しになったと発表。

トヨタが発表した来年3月期の連結業績見通しによりますと、本業の儲けを示す営業利益が2兆2000億円と、国内の企業では初めて2兆円の大台を超えて過去最高を更新する見通 し。

また、売上高は23兆2000億円。純利益も1兆5500億円と、ともにこれまでの業績見通 しを上方修正した。

下半期も引き続き、円安による収益の押し上げ効果 が見込めるほか、北米やヨーロッパでの小型車などの販売も上半期の好調を維持できるとみています。また、今年度1年間の世界全体の販売台数も847万台と、これまでの見込みを2万台上方修正しており、空前の好業績を受けて、世界最大手のGM=ゼネラルモーターズに一段と迫ることになる。

—–

猪狩:これどう思います?

ライター(以下T):唖然とします。

猪狩:国家予算ですよ(笑)

T:どのあたりに着目されますか?

猪狩:それはやはり「カイゼン」の言葉に象徴されるように、あらゆる面 でのムダの排除じゃないですか。

T:ムダって・・・ムダですもんねえ。

猪狩:ムダって、どうして生まれるんだと思います?

T:・・?

猪狩:考えないから生まれるんですよ。当たり前の話だけど、考える人は日々考えるから「カイゼン」なんて要らないんですよ。要は、そうじゃない人をどう啓蒙するかということでね。きっと今までは、「現場ではムダをしないように」だとかって言ってムダの排除をしてきたんだけど、そういう時のムダって、たとえば「節約しろ」だったり「集中しろ」だったり、あくまでも命令ですよね。

T:うん、うん。

猪狩:命令されたら考えないで済むでしょう。

T:はい、はい、まさに。

猪狩:そういう啓蒙の仕方の限界をトヨタは感じていた。とくに世界的な雇用だしね。このままでは、今までと変わらない。考えない人は考えない。考える人も積極的に考えようとはしないってね。言ってみればトヨタ式は「方針」ではなく「思想」ですよ。

T:思想だから自発的に考えることを必要とする。だから世界中のトヨタに「カイゼン」という言葉を与えた。現場では「この作業はこの歩幅でこう動け」とか徹底したマニュアルがあるんだけれど、「カイゼンはさらにカイゼンできる」的な上昇志向が生まれるますね。

猪狩:「カイゼンって何だ?」って考えることからしないと、もはやトヨタの一員としてはやっていけない。面 白いですよ。「改善」じゃなくて「カイゼン」にしたら、それは世界に通 用する思想になったんですね。

T:命令されるだけのお気楽だった人はつらい。

猪狩:パソコンとかロボットにできることなら、もう人間がやることないだろう、と。人間は考えるのが仕事だ、と。いわば温かいですよ。トヨタで「カイゼン」という思想に出会った人は、その後の人生の財産にもなるんじゃないかな。

T:何事にも時間の使い方が上手になるでしょうね、そのおかげで。

猪狩:時間も、お金もね。トヨタはちゃんとそういうことがわかっていてね。考えることに対しての対価というのもダイナミックですよ。先日の派手なレクサスの販促イベントにしても、大手代理店に支払う企画料というのだけで、普通 に考えた企画料というのとはケタがいくつも違う。

T:甘んじてはいけないですね。つねに「これでいいのか?」っていう意識をもって。

猪狩:心に「カイゼン」を意識してね。

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いま見てもいい建築

2006年11月

若い頃に見ていいと思った建築は、いま見てもいい建築だと感じます。
まっ先に思い出すのは、東海岸北に今もある某建築設計事務所の建物。それは1983年、まだ学生だった私の目の前に現われました。曲線の屋根をもつ鉄骨造のモダンなデザイン。上品な遊び心と機能性を感じる正方形や円形や三角形の窓。明らかに周囲の家々とは違っていました。当時感じた斬新さは、30余年経た今では特別なものではないかもしれません。それでも、今でも学生の頃に感じたのと同じように、そこを通る毎に「いい建物だな」と思います。

考えてみれば、既製品や規格品といった「有り物」を使うことで家のコストを下げられるような、今日のような時代ではありませんでした。
家をつくるのに財を費やせる人は、設計であれ機能であれディテールであれ明らかに一般庶民とは違う発想で家づくりができたわけです。「他とは違う」と感じるのは当たり前です。既製品や規格品ばかりでなく、技術や設計といったことも含めてあらゆるものが合理化され、より多くの人が家づくりを「楽しめる」ような今ですが、その反面 、寂しいことも感じます。
最近、家づくりの雑誌などをパラパラとめくっていて、「何だかどの家も同じだなあ」と思ってしまうのです。

一見個性いろいろでも、私にとって同じ家に見えてしまうのは、既存の概念にちょこっと味付けをするくらいのレベルでしか家づくりを考えていないような気がするからです。
「どうですこのコンセプト。このデザイン。他ではできないですよ。」とは大袈裟に言うけれど、見識のある人間からすれば、それが家づくりの本質なのかどうかは疑わしいものがあります。お施主のことを親身に考えて「これなら喜ばれる、これは新しい」という発見が見つからないのです。
実際、専門誌でいま話題などと言われているコンセプトやデザインのほとんどが、一過性のトレンドのような気がしてなりません。魅力的な特徴を謳い上げているわりには、本当にお施主の方を向いて仕事をしているのか、疑問です。そんな見方だから、どれも同じ家に見えてしまいます。これはゼネラルメーカーの話ではなく、デザイナーやハウスビルダーの話です。

デザイナーやハウスビルダーへの依頼であっても、特徴付けや見た目に惑わされることなく、とことんつくり手の真価を見極めていかないと「結局のところ外観は新しい感じがしたけれど中身はがっかりした」とか「コンセプト通りだったけどそれ以外のことは平均点以下だった」とかいう結末に陥ることがあると申し上げておきます。
何かひとつの得意技に惹かれて依頼するのではなく、総合評価してバランス感覚の優れたつくり手に依頼するのがベストではないでしょうか。家はつくり手の言い分だけでもできないし、お施主様の言い分だけでも形になるものではありません。双方それぞれの良いところをバランスよく取り入れて、全体としてアベレージの高い家になることが理想ではないでしょうか。

昔から、そして今でもいいと思っている東海岸北の某建物は、ただその周囲との違いだけで私を惹きつけたわけではありません。要するに、全体としてバランスがいいのです。「やっつけ」や「なあなあ」や「思い込み」が少しも感じられないことが、とても嬉しいのです。

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ダサい仕事をするなよ

2006年9月

ついにエバーグリーンホームのリフォーム事業部、通称「R-room」が本格始動しました。
リフォーム自体、エバーグリーンホームでは以前から依頼を受けて行っていたのですが、事業部として業務独立したかたちでスタートしたのは今回が初めてです。そして立ち上げ以来「R-room」のメンバーがとても生き生きと取り組んでいるのを私は嬉しく思っています。

ただ、今後、日々の業務に流されて、エバーグリーンホームの基本姿勢である「思いをかたちに」の精神を忘れないでいてほしいものです。
そして、お客様にとっても、自分達にとっても、ダサい仕事はして欲しくない。

私はダサい家が嫌いです。それは得てしてダサいデザインのことを指すのですが、デザインとはベーシックありき、機能ありきのものだと、さまざまな経験を通して理解しているものなので、デザインという表層がダサくなってしまうのは、思想や機能や素材という諸条件の全てを台なしにしているような気がして許せないからです。そういう意味で、私はダサい家が嫌いです。
とはいえ「じゃあ、何がダサくて何がダサくないんだ?」とスタッフに聞かれたなら、「ダサい」の総論みたいなものを説明するのは至難の技です。ただ言えることは、創作とはその人がもっている経験や感性の幅や知識欲や良質のこだわり等々からしか生まれないものなので、そういった創作の種というべきファクターをとにかく増やしていくしかないのだろうと思います。ない袖はふれないんだから、そういったファクターの重要性を感じずに生きてきた人に、どう「わかれよ」と説明したところでわかってくれるはずがない。
今月の社内再編を機に、私は社長室から下りて設計室にデスクを構えました。そうすることで、たとえば経験値の違う私がイタリアやドイツやオランダ等々で見聞してきた何かを近い距離で醸し出すだけでも、それはやはり創造の種になるんではないかと思います。そしてある時は隣のデスクから「ダサいよ」と喚起して再考を促し、結果的に「ない袖をもっと肥やさなければ」と皆が思えるような空気になっていけばと思っています。

人は誰でも「ダサいよ」だなんて言われたくはない。
けれども自分自身がスタッフにそうしていくことで、私自身、常に一定のレベルというものを自分に課していこうと思っています。人にそう言った以上は自分も決してそうはならないという、宣言のようなものかもしれません。

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まっすぐに上を向いて抜きんでます

2006年7月

先月、誕生日を迎えました。驚いたのですが、なんと私はフランク・ロイド・ライトと同じ誕生日だったのです。しかも、ライトが生まれたちょうど百年後に私が生まれたようです。頑固者であるという点では、私は後継者ですね。しかしまあ、どうせならコルビュジェの方がよかったかな。

頑固者であるのと同時に、好奇心の固まりです。歩いていて新しい飲食店を発見すると、必ず一度は入って味見をすることにしています。先日もできたばかりの飲食店を発見したのでふらっと入ってみました。驚きました。その様が冷凍食品の有り様そのままに出て来たので・・・。まあ、まるで無駄 な体験というわけではないのでしょうね。無責任な主観が入った風評に左右されるより、よほど自分で身をもって感じたことのほうが真実だから。その飲食店ではないですが、足を運んで実際に見たり感じたりしたことこそが、全てでしょう。なんでこんな話になったかというと、エバーグリーンホームもついにネットの書き込みにいろいろと(笑)。
小川(直也)さん曰く「出る杭は打たれるんですよ。だけど出過ぎれば打たれないですから。」

出過ぎることにしようと、思っている昨今です。
それは目立つということでなく、人や時代に流されず真っ当な仕事をすることで、抜きん出ようと思うことです。古い考えと言われるかもしれませんが、仕事は何であろうと、誠実であること、それしかないと思っています。
匿名で他人の悪口を言って日陰で薄笑いしている人を相手にするほど暇ではない、エバーグリーンホームには学ばなければならないことが、自分を含むスタッフのひとりひとりに山積みになっていますからね。

しかしまあ、エバーグリーンホームとして勘違いされやすいのも事実ですね。
我々はゼネコンでも大手でもないので、大きな方針を立ててハッキリした特徴をうたうわけでもありません。むしろその逆で、いかにお施主様おひとりおひとりの要望にこと細かに応えていくか(それがどんなに非効率的であっても)、それがエバーグリーンホームの存在している意味なわけです。「うちはこんな材料を使っているからいい」とか「腕がいい大工で建てたいならうち」というセールストークはそれはそれでわかりやすいですが、それはエバーグリーンホームのやり方ではない。そういうことを言わないから、お客様と時には抽象的なコミュニケーションにもなります。そんな時に何か誤解を与えてしまうことも少なくありません。ですが、エバーグリーンホームはある一定の型紙をもっていてそこにあてはめるというようなマニュアライズされたビルダーではないので、こつこつと理解し合っていくしかないですね。

今年の9月にエバーグリーンホームは大きく再編を行うつもりです。それは、今まで以上にスタッフの「人間力」に依存するような構造体の変革、意識の変革です。現場では、「温故知新」という言葉がありますが、今まで培われてきた伝統の工法に立ち返ろうと思っています。新しい物や知識や道具という、便利さ故に人間力を怠ってしまう現状を一度白紙にしてみないと。勇気がいることですが、今ひとりひとりがその意味を感じて精進していかないと、これから本当にいい会社にはならないのではないか、そんな危惧があるのです。プレイングマネージャーの立場として、それを先頭に立って実践していくつもりです。ますますエバーグリーンホームらしくあるために。

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勝つということの意味

2006年6月

株の違法取引で村上某が逮捕された。
勝ち組の末路などと取り沙汰されている。彼は何に勝っていたのだろうか。負け組は何に負けたのだろうか。おそらく経済的に裕福になったら勝ち、その逆が負けということだろうが、それが人生における勝ち負けの全てではない。「私はお金持ちになったから勝ち」などと思っているとしたら、そんなことでしか人生の価値を見出せないその人の人生こそが、負けの気がする。ところが実際、この国は経済格差の二極化が著しく進んでいる。

「中庸」(ちゅうよう)という言葉がある。今ではあまり聞かないが、中国の哲学から発生したこの言葉は「かたよらず常にかわらないこと」を意味する。頂点でも底辺でもなく「間」を良しとする感覚は、かつて日本人の心に美徳として根付いていた。その頃は、勝てなくても負けないでいられたから、勝利しなくても敗者であるなどと感じずにすんだ。再び中の上を、あわよくば勝ちに回るくらいのモティベーションは自然に持てた。適度に楽観的に日々努力をしてこの国は続いてきたのだ。ここ最近、急激に、子供たちが殺されている。麻痺してしまうほどそんなニュースばかりだ。事件の多くが「あなたは負けです。終わりです。」と社会に通告されてしまった大人達の転落のように見える。そんな社会はやはり狂っている。

我々の仕事は、家庭の器を創るようなものだ。だから自然と、さまざまな家庭観に触れる。
ある若い人がこう言った「40代、50代までは会社でバリバリ働いて貯えて、子供が自立したら後は二人で海外に家を買って自由に暮らしたい」。勝つか負けるかとか言っている時代に、果たしてそんな風にきちんと勝てるサラリーマンが100人中何人いるのか疑問だ。
しかしそれにも増して私が不思議に思ったのは、育ってゆく子供にとってのコミュニティの重要性をほとんど考えていないことだった。自分達の人生が一番楽しいのはこの場所ではない。ここは夫婦のステージではない。だからあまり深く考えたくない。・・・私はそれをとても利己的だと思った。親はいずれどっか行くのでしょう。
けれど子供はその土地で今まさに成長しているのだ。「隣近所はよく知らないし興味がないから、挨拶しなくていいよ」とでも教えるのだろうか?「第一、負けたらどうするの?勝ち逃げできないとわかった時に、親も子も、挨拶の仕方も知らず、仲間もいないその場所で、ただただ孤立する、それでいいの?」心にそんな台詞が浮かんだが、私は黙って聞いていた。

大人がどんどん利己的になってきている。
幸か不幸か、私は毎日の仕事で、新聞で、人との会話で、それを感じ、受け止めることができる。そして時に我が身を振り返ったりしている。勝てなければ負け、100か0かのような現象が進めば進むほど、立ち直れない親と閉ざされた家で育つ不幸な子供達が増えていくような気がする。
エバーグリーンホームは単に家族の器を創るにすぎないし、私は「家族とはどうあるべきか」などと演説するつもりなど一切ないが、何故だかそんなことも含めて施主様と語らうこともある。話題が、材料や工法に関してのことから、いつしか家族や心の問題に変わることが多い。そんな時、大人は不安を感じているんだ、自分だけじゃないんだ、と実感する。全ての大人が、自分自身に対して問題意識を持つべき時だと思う。

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特別な人 ~ 熱海にて

2006年5月

穏やかな熱海の町。海を望む素晴らしい斜面の一角に立っている。

傍らにはIさんがいる。この方は、私にとって最も大切な人のひとりだ。

Iさんは知らない人はいない著名な流通メーカーの創業者である。今は引退し後継者に引きついだ身だ。私がまだ柳島で独りで仕事をしていた頃、家づくりをお世話させてもらった。以来、弱輩者の私ではあるが一生懸命さを認めてくださり、以来何かとお声をいただいている。

Iさんがこの度、茅ヶ崎の自宅を出て熱海に新しい家をつくることになった。精魂こめて設計にあたろうと思っている。ちなみに私の設計による茅ヶ崎松ケ丘の御宅は、ひとり孤独ながら燃えさかっていた時代の象徴のような家だ。知らない人の手に渡るのは惜しまれるので私が引き継ぐことにした。Iさんも快く了承してくださった。

さて、この日は地鎮祭でこの地に来た。天気もよく、眼下に熱海の海がきらきらと輝いている。遠くに空、その手間に海、ぽっかり浮かぶ初島や伊豆半島が見える。そしてすぐ下に熱海の町並、美しい山の南斜面 。「別天地」というものがあるとしたらきっとこんな絶景だろう。いつまでもお若いIさんの新しい住処として、まさにふさわしい、晴れ晴れとした場所ではないか。

祈りとともに水晶の大玉を地に捧げるIさんの御姿を見て、その人生の大きさを感じるとともに、我を振り返り、身の引き締まる思いを感じた。

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プレイングディレクター

2006年4月

11期の決算報告を終え、エバーグリーンホームも新しいタームへと繰り出す。独りの身で創業し、そしてこの地に移転してから2年半の月日が経った。9月で、丸3年になる。あの頃と、今の自分。良い意味でも悪い意味でも変わった。

会社が成長することで生まれる長短、それはどこにでもある変化である。しかし誰にも頼ることなく全ての責任を背負ってやってきたあの頃と、スタッフを抱え要所要所に目を光らせることも必要な今とでは、昔の方が圧倒的にしんどかった反面 、お施主様とのコミュニケーションがシンプルでディープだった。取引先とのやり取りが実にストレートだった。要するにムダがなかったのだ。時間の使い方においても、全てにおいても。

ムダは、コストを圧迫する。スケジュールを圧迫する。施主様にムダな時間やお金を使わせてしまう原因になる。そして、本当に対処しなければならない大切な事に充てるべき労力を圧迫する。

エバーグリーンホームにとって、最優先に対処していくべき大切な事とは何か。それは、気持ちをこめることである。それが認められてきたから、エバーグリーンホームは存在させてもらっているのだと思う。我々は大手ではない。大手にひけをとらず施主様に満足していただくためには、気持ちをこめて家をつくること、それしかないのだ。心配性にもなってしまう。万にひとつ、気持ちのない図面 が出ないとも限らない、それが会社というものだからだ。

監督として、ベンチに座って見守るのか、グラウンドに立って近くではっきりとわかる指示を出す監督になるのか。立ち位 置をあらためて考えてみた。やはり私は選手兼監督なのだ。周囲と会話をし、遠くのベンチでは見えないムダをグラウンドでせっせと取り払うこと、そしてそれを見て周囲に感じてもらうこと、それがいま私がやらなければならないことだと思う。

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子供って、すてたもんじゃない

2006年4月

小川道場参事である私は、道場がオープンして以来、土日は門下生の指導にあたっている。
小川さん自身の夢だった小川道場は、子供たちの健全な育成を、スポーツを通して生きることの喜びを体感してもらうことを第一に考えている。
その通り、キッズカリキュラムは子供たちはもちろん、教える側もいろいろ発見があって楽しい。

子供たちが目を輝かせる瞬間を目の当たりにできる。たとえば、小川さんが指を1本立ててみせる。「重心を上手に使うと、力を使わなくても相手はコロンと倒れるんだよ。この指1本だけで。ほら。」といって相手をポンと押す。倒れる。倒れた方も不思議そうな演技を見せる。みんながどっと笑う。すごいのは、それをやってみせているのが小川さん本人であることだ。入門するまで半信半疑だった親子さんが、「ほんとに小川さんがいる。話をしてくれている。」と驚いている。ほかにも現役の全日本クラスの講師陣が、子供たちひとりひとりに声をかけながら本人たちも楽しんで教えている。私自身も黒帯なので、「先生!」などと突然よばれたりしながら、照れながらも一生懸命に相手をしている。

子供たちは、あいかわらず体を動かすことが大好きなんだ。よかった。と、ほっとできる。
基礎体力を高めるランニングを「鬼ごっこ」形式ではしゃぎながら走っている時、道ばたですれ違う疲れ切った目線とは違う、生き生きした子供のまなざしが道場の外周を何回もまわっていく。
その時、小川さんは茅ヶ崎の子供達の、このまなざしが見たかったんだ、と思った。

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緻密な空気 ~メゾン・エルメスの光

2006年3月

銀座まで出向いた。場所はメゾン・エルメス。

偉大な建築家レンゾピアノの作品は、ガラスブロックに囲まれた巨大な建造物である。御縁があり向かったのだが、あらためて見ると参考になる部分が本当に多い。 ピアノは、流行の先端をゆく銀座にはガラスがふさわしいと考えた。日本の都市はいつも動いていて、昼と夜で表情を変える。ガラスも絶えず変化し、透明でありながら、不透明になり、色と時代の気分で変わる。そこでピアノはエルメスを光と戯れるランタンにしたかったのだ。

溶けたガラスの滴が型に流しこまれたブロックは、ひとつひとつが微妙に表情が異なる。45センチ角のガラスブロック13,000個はほとんどジョイントされることなく屋上から吊されていた。その技術は、建物全体が微かに揺れるような不思議な錯角をおぼえるのである。地震の国ならではの優れた発想と、作家のロマンチシズムの融合である。水面 が直立したようなガラス壁は、昼は外部からの光を受けて輝き、夜は内部の照明や外のネオンサイン、ノイズのようなヘッドライトの明りを受けてさまざまな表情を見せる。まさに巨大なランタンである。ぜひ日が落ちてからの内部の美しさも見に行かれてほしいと思う。
ピアノもさることながら、個人的にエルメスというブランドのもつ考え方が好きで、見るものだけではなくその空間に漂う空気の緻密さを大切に持ち帰ってきた。

東京のもつクリエイティブパワーは素晴らしい。
ピアノが創ったメゾン・エルメスがいつもの景色として存在していることは素晴らしいと思う。
さまざまなものに資本が投下され、活性されてゆく。街が輝いて、街が人を輝かせている。
とりとめのないことを考えながら茅ヶ崎へと帰る。

ずっと変わらないことが良いことだとばかり信じていると、いつか取り残されてしまうと思う。茅ヶ崎や湘南というライフブランドは、歴史があるだけに、いつかしっぺ返しを食らうような気がする。1時間で行ける東京がまるで違うスピードで進んでいるのだから、日々差異は広がっていくのが現実である。

エルメス オフィシャルウエブサイト http://www.hermes.com

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作るのでなく、創る

2006年2月

今朝、朝のワイドショーで熊本のとあるベテラン建築士が、例の強度偽装問題の余波を受けて番組に糾弾されていた。彼は名だたる国際資格を持ち、確かな技術と信念で建築に携わってきたにも関わらず、昨今の耐震検査ソフトを使った判断で基準以下とみなされ非難を受けていた。長年の経験に裏打ちされた本人による数値では基準に満たしていると堂々と言い切っている。彼は自らをやり玉 にあげた市に対し、猛烈な抗議をしていた。なんだか、画一的なものさしで良いか悪いかだけを決めているようで、私はちょっと途方にくれた。彼は世間が優秀だと認めた人であり、その証しもある。実績も信念ももちろんあるはずだ。であるなら、例の作為的な建築士とは話の筋が異なるはずなのに、まるで「同じような奴がここにもいる!」と魔女狩りのごとく噛みつかれている。 本人だって怒るのは当たり前だ。私は私で、スケープゴートを傍観しているような無力感を感じる。今回の一連の出来事は、基準値を上回るか下回るかで正と悪を決めて、はい終わり、というような安易な結論ではないと思う。 基準値だとかいうものさしは、それを遵守する側のモラルの一端にすぎない。正すべきは人の心にあるのだ。

エバーグリーンホームを、もっともっと良くするためにはどうすればいいのだろう。今年に入って、そんなことばかり考えている。本当の意味で、過渡期に入っているのだと思う。会社も、そして自分も。

会社を良くすること。そのためには、人が良くなっていくしかないのだと思う。人間は、よく試行錯誤を怠ける。たとえば交渉をスムーズにしたいがあまり、相手の要望を何の疑問もなく受け取って進行してしまうことだってある。なぜ「そういう決断をしたのか」と問う。「あの方の希望で」という答えが返ってくる。それは、自己否定だ。自分のビジョンを安易に曲げるということは、「ビジョンなんて最初からありませんでした」と言っていることと同じである。なのに、それにすら気づいていない。その「相手」がお施主様であったとする。「お施主さまに言われたから」という理由だけで安易に変えるなどという行為は、今までやってきた自分を簡単に否定することだし、そもそもそのお施主様のことを元から理解していなかったのではないか。どこのビルダーでもありがちなことではあるが、それではいけないと思う。これからは今以上にお施主様を大切に思い、理解し、本当の意味で親身になる、そんなビルダーでなければいけない。我々は誰もが、優れたひとりの人間として、より満足度の高い家を創造していくための誇りとプレッシャーを同時に感じていかなければならない。何も知らないからとたかをくくってお施主と付き合うハウスビルダーには、これからもなりたくはない。お施主様が誤った方向に行こうとしたら自分のことのように真剣にお施主様に議論するくらいの、そんなプロ意識とハートがあったっていいんだ。

エバーグリーンホームにいるもの全員が、今以上にプロであり、まっとうであるために。前号で申し上げたように、節目の時期にあることを私は痛切に感じている。私は、家をつくるという行為は、それを望む人のために、作るのではなく、創るのであると思っている。

(2月10日談)

 

写真は、昨年訪れたオランダ・ユトレヒト大学エデュカトリアムの内部。傑作と言われている。いかなるビルダーであっても、求める人に最高のものをかたちに。

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エバーグリーンホームの行方 (続)古民家で過ごした時間

2006年1月

昨年から、エバーグリーンホームのスタッフは、休日に出かけられる者だけで、とある古民家の茅の葺き替えを見学させてもらっています。 (前回のリポートはこちらへ)

古い茅の取り払いは並大抵の作業ではなく、ボランティアも含め数人の職人が幾度も現地へ通いながら進めていきます。我々も微力ながらできることは手伝い、できないことは見守りながら、古い日本家屋に凝縮された知恵を吸収しようと努めています。 ある時、ふと猪狩が気づきました。

「どうしてこんなに埃まみれなのに、誰も咳きひとつしないんだろうなあ」

そう言われると、そこにいるもの全員が古くなって外される茅の粉塵にまみれているのに、咳きどころか咳払いひとつしていません。古い茅葺き家屋は、囲炉裏でいぶして天井の害虫を殺すというかつての日本人の叡智で成り立っているわけで、天井の茅は害虫の死骸や時とともに堆積する粉塵の巣窟であるはず。実際に外される茅からは死んでダニやゴキブリの死骸、長年のほこりが嘘のように出てきています。

スタッフの娘さんも連れられて来ていました。小さな彼女はかわいそうに喘息をもっているのですが、そんな彼女でさえ咳きひとつせずに、ほこりの舞う庭先で元気に走り回って遊んでいます。化学製品に囲まれたふだんの生活で時おり苦しい思いにさらされている彼女も、自然に恵まれた古民家のもうもうとした埃には、体がNOと言っていないのです。いつしか人々は、この古民家のような生活に、ずいぶんと沢山の大切なことを置き忘れたまま進んできたような気がします。
(エバー広報部)

 
~本質をとらえるということ。

「シンプルモダン」の時代から、次へとリセットする時が来ています。
そして、「家」「暮らし」をもういちど根本から考える時期なのではないかと感じます。家づくりはとかくデザインに言及してしまいがちです。しかし、そもそもデザインとは機能から発生すべきものです。古民家を訪れて思うこと、それは囲炉裏があって、茅があって、それぞれが連係して素晴らしい働きをし、その存在をデザインとして考えた時にはじめてそのかたちが美しいということ。誰も咳きひとつなく過ごしていたことに、現代社会の病、人間が弱くなってしまった故に生じてきた問題を感じます。ホルムアルデヒドの存在を例にするまでもなくハウスビルダーが少なからず直面 してきた問題。それは食生活や環境からくる免疫力の低下から、起きるべくして起きてしまったことではないだろうか。であるなら、ハウスビルダーはこれからのそういった問題に、事が起きてから対処するだけでなく、先んじて何をすべきなのか。

~疑問をもつということ。

最近の耐震強度偽装問題。それは組織の問題以前に家づくりに携わる職人ひとりひとりの気質の問題です。やるべきことを普通にやらなくなっている。そのことに気づいていて悪意をもって、ではなく、おそらくもっとひどくて「麻痺」しているのでしょう。麻痺しないでいくためには、家づくりを仕事として受けるだけでなく、しっかりした考えをこちらの方から発信する自覚がなければならないと思います。
エバーグリーンホームの仕事はアートではありません。建築屋ではあるが建築家ではありません。けれどもそう考えてしまうことで発想や行動を狭めてしまっているところもあるのではないだろうか。何の疑問ももたずに間違った方向に進んでしまうこともあるのではないだろうか。さらに喜ばれる家を、思いをかたちにするために、家づくりだけ考えていてはいけないのだと感じます。影響を与えてくれるたくさんの人に会いに行き、その時その時で何をすべきかを常に考えていかなければいけないのでしょう。
今年は、エバーグリーンホームの確固たる方向性、その基礎をつくる年にしていきたい。そんな強い意識が今、スタッフのひとりひとりに、さまざまな形で生まれているような。そんな気がします。

—–受動ではなく、能動。

(猪狩裕一)

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