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President,s Column | エバー代表のコラム

President's Column | エバーグリーンホーム代表・猪狩裕一の思いをお伝えします。

年別アーカイブ:2008年

(I Can’t Get No) Satisfaction…  

2008年12月

暮れになると「良い年でしたか?」と人から聞かれます。
毎年のことながら「わかりません」と答えます。この年末も、同じ答えです。その一年が満足のゆく一年だったのかどうか、毎年、わからないでいます。今年も。

2008年は、EVERGREENHOMEの家づくりが向上した、という手ごたえが、ひしひしと感じられた年でした。
スタッフのレベルの高さや個々のタレントが実を結んだ一年だった、そんな風に思います。
ハウスビルダーの向上とは、お施主様の満足度の上昇、唯一それに尽きます。たしかに企業としての収益も大切ですが、その数字がイコール向上だと考えるのはおごりです。数字はひとつの目安として大事なもの。しかし、それよりも私やスタッフが個々に感じ取っていく実感のような、そういった何となく不確かなものの方が、実は成長のものさしとしては確かであったりします。今年の良い手ごたえを大切に思い、続く限り、EVERGREENHOMEの家づくりは常にお施主様の満足を得られると確信できます。今の精鋭に、来年はさらに有能なスタッフが加わります。社内での良い意味での競争意識というのもますます良い空気となり、手ごたえとなるのでしょう。
しかし、それで満足?・・・う~ん、満足というのとはちょっと違うのです。良い年は良い年だったなりに思えても、100点満点ではありません。そもそも100点満点なんてないものなのかもしれません。それでも、満点にならない限りは満足なんてしちゃいけない、なんて思うのです。

私たちは生きていく以上、常に前進していかなければなりません。
曲り角できちんとどちらかの道を選択しなければなりません。その選択が失敗であったなら、それを踏み台にすればいい、失敗を成功の糧とすればいい。してはいけないことは、失敗ではありません。してはいけないことは、どちらも選ばず曲り角で踏み止まったり、ひたすら立ち止まってしまったり、引き返してしまったりすることです。そういうことがなく、前進できた一年でした。それでも100点満点だなんて考えられない。考えてしまっては終わり、のような気がします。
たしか去年も一年間がんばって、「来年こそはきっと心から満足できる年に」そう思って、暮れていきました。そして、今年も「来年こそはきっと心から満足できる年に」そう思って終わっていくようです。・・・それでいいのかもしれませんね、毎年それで。
来年も、100点満点めざしてがんばります。そして暮れには同じように「満足できなかった」と言える人間のままでいようと思っています。

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石井君と私たちの関係

2008年11月

石井君(北京五輪柔道100キロ超級金メダリスト、石井慧選手。あえてふだん呼んでいるように石井君、と呼ばせてもらいます。)と私とは、友人です。なぜこのダイアリーであらたまって申し上げるかというと、世間では多少誤解されて受け取られているふしがあるようなので、こうして一度、きちんと書かせてもらおうと思いました。石井君と僕とは、ただの友人です。

格闘家への転向の話題が取沙汰されて以後、石井君がテレビをはじめ各マスコミで事有る毎に当社EVERGREENHOMEのTシャツを着てくれているのはご存知の方も多いと思います。
そのことに関して、当社(あるいは私個人)が石井君をスポンサードしているかのように思われますが、それは間違いです。社には石井君のファンの方から「あのTシャツは売っているんですか?」等のお問合せをいただくのですが、あいにく販売しておりません。誠に申し訳なく思っています。当社EVERGREENHOMEは、ハウスビルダーです。(苦笑)

小川道場が縁で、石井君とは本当に仲良くさせてもらっています。ある時はとりとめのないおしゃべりの相手として、ある時は目上として応えられる範囲での相談相手になって、電話やメールでよく会話を交わしています。渦中の彼にとって、全くの畑違いの私ですから、いろいろと「楽」なのかもしれません。なのに、ただのそういった関係であるだけなのに、石井君はああしていつもあのTシャツを着てテレビに出てPRをしてくれています。おそらく、あれほどのEVERGREENHOMEのロゴマークの露出に、世界中で一番驚いているのは私たちです。(あんなこと、スポンサーとして出資したら一体いくらかかるのか・・)

時の人であれば、欲もあれば色気もあるのが当然です。
身に着けるものなど、計算高くしようものならいくらでもするのだと思います。なのに、彼にはそのようなところは微塵もありません。世話になった人を大切にし、そして自分自身は「もっと強くなりたい」、それだけです。私は彼の日々の思いを電話やメールで聞き、何か身に覚えのあることならば経験を話したり助言をしているに過ぎません。逆に、彼の一途な思いに年上の私の方が奮い立たされることの方が多いです。何かにつけて自分自身に言い訳をしない彼を、言い訳の作れる道筋を選ぼうとしない、そんな、私の年齢の半分くらいしか生きていない一人の男を、私はひたすらすごいと思うし、尊敬しています。そんな彼だから、相談されたら一生懸命にこたえていくのは当たり前の流儀です。

彼がEVERGREENHOMEのロゴの入ったTシャツを、そこいらじゅうで着てくれている理由は、以上です。
石井君と、私やEVERGREENHOMEとの関係は、そういうことです。彼は、なんというか、そういう人なのです。

五輪で戦う前の今年5月、EVERオフィスで

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逆風を歩き続けて

2008年10月

我が身にふりかかるというより伝え聞く感でですが、サブプライムの影響がすさまじいです。
記憶では確か世界の4割の金融がアメリカに存在しているのだとか。その価値全体が根底から信用を失ってしまった今、世界はいったいどこまで破たんしてしまうのでしょう。
あのGMが本社を売却までするという現実。帝国の一象徴は、存在する価値すらなくしてしまいました。

その「価値」とはいったい何でしょう。
私は、価値とは相対的なものではないように思います。過半数の人がいいと思って評価されていく、そういうものは絶対的ではなく、何かのきっかけでストンと落ちてしまうこともあります、ちょうど今回の一件のように。価値とはあくまで個人的な尺度でありたい、と感じます。ひとりひとりが思う「大切」、価値とは結局そういうものであるべき、と。ある時に景気がよくなって自分の土地が倍の評価額になったからといって、その人の財布がふくらむわけではありません。その土地を売るのなら別ですが、売らないのなら別にその人が潤おうわけではない。相対的に決められた資産価値、そういう価値に価値観を見い出すより、その人にはもっと大切な個人的な価値観があって(先祖代々暮らしてきたから大切だ、とか)、そっちの方がその土地の価値ではないでしょうか。
他人や大勢の手で上がられたり下げられたりするものではなく、個人の思い、その方がやはり価値と呼ばれてほしい。価値は大切であるべきものです。

EVERGREENHOMEという会社は、創設以来、逆風の中を歩いてここまでやって来ました。
景気が後押しすることなどただの一度もなく。幸か不幸かそれは、自分達以外の何ものをも頼りにしない見識を培ったのだと思います。いい波なんてひとつも来やしないんだから、自分で工夫して漕いでいかなきゃしょうがない。突然の嵐にもなんとかやり過ごす知恵がなくてはしょうがない。

だもんだから、これから先、万が一いい波が来ても、その時はちょっとハスに構えるような気がします。
世の中、調子が良くなったらなったで、ついその調子にのって忘れてしまうことも多い。家づくりとは、相対的な行為ではなく、お施主様が個々に大切にしていくものの創造。個人に向けた行いであり、まさしく価値の創造です。浮き沈みある現象に関わるよりも、おそらく大切な業であるということ。これからも肝に銘じて行くとします。

EVERのマスコット犬PAYA。石井選手の金メダルをつけて。後ろは私です。

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ひとごと社会

2008年9月

自分の部屋から大麻疑惑の力士が出た直後だというのに、ふだんと変わることなくいつも通りサウナに出かける親方というのがいました。
ふだんとは明らかに違う状況にあっても、ふだんと同じ日常を過ごせる心境というのが私には理解できません。「自分に一大事が起きているのに、それをまるで他人事のように遠いものとして錯角している。現実をバーチャルとして捉えている」日曜の朝のテレビニュースで某コメンテイターがこう解説していました。
なるほど、そうやって最近の一連の非常識な事件を観てみると、役人の不祥事も、食品偽装も、どれも、当事者のコメントはどこか現実ではなく、“ひとごと”のように語っています。部屋を解雇された力士も力士でした。「警察は許したのになぜ協会は許してくれない?」的に開き直っていましたが、当事者本人が口に出す言葉とは思えませんでした。親友でもかばうかのような“ひとごと”な口ぶり。

“ひとごと”は、そうした対岸の出来事ではなく、私の周囲で感じています。

好景気の気配を感じないまま、建築業界は上場企業も含めて倒産する会社が後を断ちません。
ご承知の通り、そうした時にはまず銀行や投資家が資産回収を行います。会社を大きくしたのが彼らですから当然といえば当然ですが、損をするのは汗水たらしてがんばってきた下請け業者です。後回しにされた未払いの精算は、今までの人間関係、そして今後の付き合いのことなどいろいろあり、結局うやむやにせざるを得ないことも多々あります。当のつぶれた会社の経営者が、下請け業者と同じくらいに腹を痛めているかというと、実はそうでもなかったりして、とどのつまりは下請け業者のような、一生懸命にやっている下の者が馬鹿をみる、そんな社会構造になっています。

何かあった時に、痛みを分かち合う、という構造になっていない。実質的にトップの責任というのがひどく曖昧です。立場的に下の者が痛みを感じた時に、それを“ひとごと”として感じてもいい、といった社会構造になっているせいでもあります。

私は経営者ですが、あえてそうしたことを矛盾に感じたので、こうして書きました。
一生懸命にやっている者が馬鹿をみる世の中というのは、明らかに間違っているからです。責任をとらなくていい人間をつくる社会の仕組みそのものを変えていかないと、どんどん“ひとごと”は加速するのでは・・・

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かつてない高まり

2008年8月

まずは先日の地引網に足を運んでくださった多くの皆様に、御礼を申し上げます。
お天気にも恵まれ、来場者数は500人以上となりました。さして問題もなく、楽しくイベントが終えられましたことを心より感謝いたします。感慨深いこともありました。家を建てさせていただいた当時の小さな子供たちが、もう見分けがつかないほどに大きく成長されていたりして。それなりに年月が経ったことをしみじみと感じました。彼、彼女らの姿を見て、時間は確実にたっているのだな、私も40になるわけだ、なんて、しみじみと思ったりして・・・。

(それにしても、今年のシラスはずいぶんと育っていて大きかったですね。驚きました。どんな風に召し上がったのかな。やっぱり天ぷらでしたか?)

そんな年月の話しです。
9月の半期決算を前にした今、お客様のタイプも年月をおうごとに変わってきたな、なんていうことをふと考えました。今は不景気から抜けだせない感もあるからでしょうが、さらにお客様は堅実に、確かな家づくりというものをお考えになっている、そのような方が増えている、ように思います。建て替えのお声を日増しに多くいただいていることも、その一つの例です。また、注文住宅が分譲住宅よりも圧倒的に増えています。もとある土地を大切に思いながら、家にはしっかりとお金をかけようという心がうかがえます。そのような方々がEVERGREENHOMEを指名してくださっています。心から光栄に思います。

私共への指名が増えている要因は、お客様の意識の変化や不景気風、だけのせいではないはずです。
詳しいことはここでは申しませんが、前年度に比して約半年も前倒しのペースで目標としていた契約件数を達成している驚くべき現状があります。それが、お客様の意識の変化や不景気風、ただそれだけでは説明がつかないからです。会社の中にいい風が吹いている、それもまた要因だと思っています。
設計力においての個々の能力と情熱が、過去に例のない高まりをもっているのです。それがプレゼン力になり、信頼になり、最後に形として家になり、評判として自然と多くの人に広まったのではないかと推測しています。

そう、いま設計室をまじまじと見回してみると、かつてとは比較にならないほど、皆の顔が個性的なんです。いい顔をしています。もちろん頭の中も。皆、時間の使い方、自分の使い方が、上手です。私などがいちいち口を出さずとも、自分が活きるような仕事を、自然と結果 として残しています。

おかげさまで今いる人数では設計・営業ともに追い付かず、スタッフの増強を一日でも早く行いたいと思っているところです。設計は、建築に情熱のある方。営業は、建築に興味がある方。何かひとつ、キラリと光る何かがある方。ぜひとも、EVERGREENHOMEへ。

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思いをこえるクリエイティブ

2008年7月

EVERGREENHOMEをひと言でいうと、どういうハウスビルダーなのか?

それをお客様に説明するのはとても難しいことだと、かねてから思い続けていました。

なぜかというと、EVERGREENHOMEはハード面での特徴を持たないのです。あえて持たない、と言った方が正確です。

ハード面で特徴をもったビルダーであれば、自分たちのどこがいいのかを説明するのに悩むことではないはずです。
たとえば、「お宅はどんな会社なんですか?」というお客様の問いにあるビルダーさんなら「うちはオール四寸の太い柱を使っています」とシンプルに答えることができます。また別 のあるビルダーさんであれば「うちはどこそこの空調システムを使っているのが自慢です」と胸をはって言うでしょう。あるいは「うちは床はこういう木材を使っているんですよ」、「うちは湘南らしい住まいづくりが得意なんです」、等々・・・。
そんな風に伝えやすい特徴をもっているビルダーさんは多々あります。聞かれても容易に自社のアピールができ、お客様もイメージしやすいでしょう。そこに頼めばどんな家ができるのかが、想像しやすいでしょう。

一方、EVERGREENHOMEはというと、空調であろうが、床であろうが、湘南テイストであろうが、あらゆるものはお施主様がご希望すれば取り入れるし、ご希望しなければ取り入れません。取り入れるかどうかはお客様が決めればいいことだと思っています。お客様の自由です。ハード面だけでなく、テイストも、スタイルも、全てお施主様のご要望に応じてつくります。施工例をご覧いただければ一目瞭然でしょう。パッケージ性は持ちません。言わば「特徴をもたないことが特徴」なのです。

というわけで「どういうビルダーさんなんですか?どんなところが良いのですか?」と質問された時に、ひとことでその魅力を伝えることは非常に難しいのです。そのジレンマは常につきまとっています。
おかげさまで会社は順調、お施主様の口コミでも多くのお声を頂戴しているだけに、どこがいいのか聞かれて端的に言えないのは、矛盾しています。

ただ、その順風満帆ぶりが「なんとなく」ではないことは確かです。手前味噌に自己分析するならば、「真っ当に仕事をしているから」そう思えます。無駄なコストはかけずに少しでもいい家をつくろう(コストをかければ立派な家など容易にできるんだから)。ご要望には決してNOから始めないようにしよう(もっと考えればできるかもしれないじゃないか)。現場は常にきれいにしよう、知恵をつかって現状をもっと良くしよう、温故を忘れず知新をしよう、礼節を重んじよう。・・・当たり前のことを当たり前にする、各々が自分の仕事に責任をもって働く、そういったことが忘れられがちな今だから、真っ当な人間として、真っ当に仕事をすることを、EVERGREENHOMEはひたすら心がけています。お客様の想像を凌駕する創造は、そこから初めて生まれてくるものだと信じています。

これまでは、「思いをかたちにする」ことをスローガンとして掲げてきました。これからはさらに一歩押し進めて、お客様の夢みる、そのワンランクもツーランクも上の家を、さらに積極的にプレゼンテーションしリードしていきたい。「思いをかたちにする」だけでなく、「思いをこえるクリエイティブ」を。

 

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今の自分がすべきこと

2008年6月

悪質な食品の使いまわしが浮き彫りになり、船場吉兆がついに倒産しました。
その会見で例の名物おかみが、ずいぶんおかしなことを言っていましたね。「暖簾にあぐらをかいてしまった」これを聞いて、ふだんの口うるさいキャスターやコメンテーターが誰ひとりとして言葉の使い方の誤りを指摘しなかったのが不思議でした。そもそも「暖簾にあぐらをかく」とは、伝統や習慣に頼りきって努力を怠ることをいいます。他の客の残した刺身を別 の客に出すなどは、暖簾にあぐらをかくとか、かかないとかいったこととは全く無関係です。おまけに「もったいないという気持ちがはたらきまして、つい」的なことまで言う始末。もったいないから、つい、同じものを他の客に出されては、出された客はたまったものではありません。美意識の悪用とでも言いましょうか、「もったいない」という言葉をそんな風に汚してはいけません。言い訳がましいにも程があります。

完璧な人間はいません。誰だって過ちを犯します。私は過ち自体をさして非難しません。その過ちを本人が受け入れていないところを見て指摘し、注意します。なぜその過ちが起きたのか分析できていなかったり、ただぼーっと反省しているだけなら、再びミスは起きるからです。もってのほかなのは言い訳です。前述のおかみではありませんが、自己弁護をしているうちは自らのミスを認めていないのといっしょです。

ミスをしないようにするにはどうすればよいか。
相手がまっとうであるなら、これだけを伝えれば十分です。「ひとつひとつのことを確実に行いなさい」。現場の人間なら、一本一本のクギを、ていねいに、しっかりと、打ちなさい。寸法通 りに、ていねいに、まっすぐに、切りなさい。ていねいに、ちゃんと、を心掛けていれば、その家は自然と美しい家になるものだ、と言います。人はよく実力や身の丈に合わない大きなことを考えてしまうもので、本当にやらなければならないことはないがしろにしてしまいます。それが、たいていのミスの原因です。大それたことなど考えずに、今の自分がしっかりやらなければならないことを、確実にこなしていれば、まずはそれでいいんです。

大きなことなど考えず、今すべきことをちゃんとする。
私の場合はあまり大きなことを考えたことがないのでさほど心配はいりません。「すべきこと」を誤りなく見い出すのは、得意とするところかもしれません。今は、昨年入ったスタッフもようやく仕事に馴れ、新たな営業スタッフもバリバリ頑張っているし、設計の新戦力も加わった、そんな安定した社内環境です。私も余裕をもって会社を俯瞰できるようになっています。背中の荷物を安心してスタッフに預けられるようになった今「さあ、私は今日何をしよう」と日々考えることが多くなりました。わるくないです。

「そういえば、最近、欲しいものがなくなった」先日、小川直也さんと雑談していて、こんなことで共感し失笑しました。この文章が出る頃には、私もついに40歳です。若い頃はそれなりにあった物欲も、どうしたわけかそれほど強くありません。それでも若い頃以上に仕事に精力的なのは、いったい何が私を突き動かしているのだろうか、などと不思議に思ったりもします。設計や接客に忙しく動き回り、手が空いたら植木を世話したり、掃除に精を出したり、訪れるお客様に見える部分で良い気持ちになってもらいたい一心です。それが、今すべきことをちゃんとする、ということなのでしょう。それが、今の自分の在り方なのでしょう。

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21歳の言葉

2008年5月

「単に技のキレや力の強さだけで勝てる時代ではないんです。

その時々の状況に順応できるかどうか。

その状況を常に自分に有利に活かせるかどうか。

今は、そこに勝敗がかかっています。」

 若干21歳にして柔道100キロ超級の北京オリンピック代表選手に選出された、石井慧選手の名言です。道場参事として、かつ道場支援会の代表として小川直也氏とお付き合いさせていただいている私は、最近、小川氏を慕って道場を訪れる石井選手とも親交をもつことができました。小川道場では、この石井選手と泉選手というふたりの選手が、道場に縁りのある中から五輪代表として選出されたのです。それは小川道場にとってのみならず、茅ヶ崎の町のスポーツ振興にとっても、かつてない大きな出来事です。

 雑談の最中、私は、石井選手がテレビのインタビューで言っていた上の言葉について、とても共感したことを本人に伝えました。「今はホームランバッターの時代ではないですからね、イチローさんのようにあらゆる状況に対応して少なくともシングルヒットを打ち、高い確率で塁に出る、そんな順応性の高いアスリートが真の強い選手なんです、僕も、どんな体制からでも技をかけられる、現状を打開できる、決して気を抜かずに攻める時を計れる、そういう選手になりたいんです」その言葉を聞いて、私は思いました。それはアスリートだけの話ではない、と。我々の仕事やあらゆる事柄に言えることです。石井選手の言葉は、まさに時代の真理。彼の若いながらも成熟した感性に打たれました。

 物価高騰の影響を受けて、企業は倒産や資産売却が相次いでいます。今は、そういった苦境の中でいかにして耐えるか、逆らうことなくその荒海の中で順応し、期を見て弾みをつけて勝つ、そんなことを考えていかなければなりません。私が思うに、肝心なのは、大きなことなどやろうとせず、日々の些細なことからきちんとやること、きちんとできるようにすること、その積み重ねを大切にすることです。挨拶であったり、掃除であったり、接客であったり、そういった基本をないがしろにしないことが現状打破の第一歩です。設計や施工もまず心の怠慢をなくすことが、苦境の時こそ意識されるべきと思います。接客テーブルにささいなホコリが見えたなら率先してテーブルを拭く、それをすることに社長も社員も関係ありません。

 幸い、EVERGREENHOMEは順調につき、スタッフの増強、営業力や設計力の強化に尽力できています。大それたことなど考えず、日々お施主様の夢の実現のために走ってきたその結果 にすぎません。誠心誠意の家づくりとは、相手の状況に柔軟に対応することがまず前提。石井選手の胸中にとても近しいものを感じます。そこにはリップサービスもオーバージェスチャーも必要ありません。必要なのは、礼節と、質と、結果 。それだけです。

 

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それ、矛盾していませんか? 

2008年4月

食品の表示義務が病的に感じます。
表示をきちんとすることは良いです。けれど、それが一部の人間の責任回避のためにどんどん過剰になっていることが病的に思えます。たとえば豆腐の原材料である、にがり。にがりには精製された粉末状のものと、海水から塩をとる過程で生まれるミネラルを多く含んだ、液状の‘天然にがり’があることはご存じのことと思います。ミネラルのように表示しきれない性格のものは、全てを明確にしなければならない食品表示法では不適合です。なので生産者は自ずと表示しやすい精製にがりを多用するようになり、自然本来のおいしさをもった天然にがりの豆腐を作ることをやめてしまうケースもあります。ミネラルといえども表示できないのだから不適合である、その論理っておかしいですよね。天然にがりの豆腐を製造販売しようと思ったらそのための講習まで受けなければならず、成分を検査にかけてようやく食品としての認定を受けなければならないのです。かかる費用は数十万円・・・。老夫婦でやっている町のおいしい天然にがりのお豆腐屋さんが、このお金をどうやって払えばいいのでしょう?この制度を決めた人は、生活感覚が恐ろしく欠如しているか、さもなくば自らの責任回避だけを考えている人です。

日本の伝統的な保存食、梅干し。その優れた保存能力は‘10年もの’などという銘品がざらにあるほどです。私は梅干しが好きで、いつも塩分10パーセント以下の薄塩の梅干しを地方から取り寄せています。賞味期限を見ました。「え、半年・・・」薄塩とはいえ、この線引きってどこか腑に落ちない感じがしませんか?食品がわるくなる、ならないということよりも、責任回避の匂いの方がプンプンとするから納得がいかないのです。

何か問題が起こった時の責任回避って、まあ必要です。
ただ、今の風潮は病的です。いや、責任回避ですらないかもしれません。責任回避って、責任感のある人がやることですからね。今は皆が責任をとりたくない人達ばかり。だから「責任逃れ」ですね。町の豆腐屋さんを無視した表示規則も、賞味期間は短ければトラブルがないでしょうという短絡的な発想も、どちらも責任逃れに思えます。食
文化を大切にしようだとか、ゴミ問題を真剣に考えよう、などといっておきながら、この国は言っていることとやっていることがまるきり違う責任逃れ大国へと進んでいるかのよう。

先日、増改築のご相談があり、役所に申請前の事前相談に行きました。すると担当係はその設計図を見て「今の建築基準法にのっとった体力壁を設けてください」。それは確かに現行の指針通 りの指示です。しかし、実際は金物補強した側の元になる木の耐久性をはじめ、あらゆる条件、全体のバランスを考えて、はじめてそれは意味のある補強となるのです。「ハイわかりました」と何でもかんでも強い金具を使うことなどできないのです。そこには必ずプロフェッショナルの見識や知恵が必要なのです。相手の一点張りに対して「どうしてですか?」と問うたところで「決まりですから」と言われるでしょうから、暖簾に腕押しです。やはりこれも腑に落ちない感じ。今あるものを大事に使いましょう、という地球規模のマナーに不可欠なのは、臨機応変な見識や知恵であるはず。なのに、実際は局所だけを捉えてのルールの一元化です。

何だかいろいろで、世の中、矛盾していませんか?

 

※職人至上主義のように受け止められるのは心外なので、職人も悪いところは悪い、と記しておきます。実際、 地場工務店が衰退した原因には、職人が腕と勘だけで仕事をし、世の中の常識から逸脱したデザインをしたり、マナーの欠いたことが大きく関連しています。また、職人の腕(技術)にしても、最後に仕上げの職人が何とかしてくれるだろうとたかをくくり、隠れる部分を雑にしていた、そんな怠慢も一部にあり、そういった大工などは現実に仕事がなくなっています。

私が思うに、時代はもはや、職人=腕、の時代ではなく、より人間性が問われる時代です。自分のしたことにきちんと責任をとれる、そんな「心」をもった人、ですね。まあ、職人だけに限ったことではありませんけどね。

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I M A G E

2008年3月

“イメージ”とは、何でしょう。
毎日、一度はかならず耳にするか口にする言葉。「じゃあ、そんなイメージで。」「どういうイメージでいきましょうか?」「イメージ的にどうですかねえ。」
・・・実体があるようでない、不思議な言葉です。

映画館で「アース」を観ました。予告でみる、あの北極グマの悲しい映像が印象にあって、この「映画」は地球温暖化への警鐘のような、ある種考えさせられるメッセージをもった「映画」なんだなと、勝手に“イメージ”して観に行きました。ところが、観終わった感想は「何だこりゃ?」・・・。私は、「アース」を「映画」なのだと勝手に“イメージ”していたので、「映画」ではなく「ドキュメンタリーフィルム」を観せられて唖然とするしかありませんでした。「たしかに自然は素晴らしいものですヨ、だけどサ、だから何ナノ?結局何が言いたいノ?」そんな思いで、映画館に「映画」を観にきた私は、納得できずに劇場を後にしました。(それにしても、北極グマの親子はどうなっちゃうんだ?と期待させておいてピシャッと次の動物へ、ハイまた次の動物へ、っていうアレ、まるで映画館に「ディスカバリーチャンネル」を観に来たような・・そう感じたのは、私だけではないはず。)

勝手にひとり歩きをして、暴走をして、実に厄介な“イメージ”。
「アース」のような冗談話は置いておいて、“イメージ”というのは、人ひとりひとりに、もれなく与えられていきます。それは、時に的確で、時に予想外で・・・まるで規則性がありません。
だからこそ、いま自分は人からどう思われているのか、本当は人からどう思われるべきなのか、そういったことを考えるのは大切のように思います。

かつて、私は自分が納得できる身なりであればそれでいいと思っていました。
常識があり、相手に失礼がなく、恥ずべき身なりでないなら、それでいいと。しかし、今はすこし違います。日本は礼節を重んじる国として、おめでたい席にはおめでたい席の、お悔やみの席にはお悔やみの席の、それぞれに合った正しい礼節があります。
ただ、それは言ってみればできて当たり前のことで、その一方でビジネスの面では、会社の代表者としての話題性みたいなものも必要です。先日、昔からの仲間と話して、こんな話題になりました。「猪狩も昔と違ってたくさんのお客様とスタッフのいる身なんだ。服でも車でもそれなりに話題にされることが必要なんだよ。」なるほど、納得させられます。昔よりスタッフが増え、お施主様が増えた今は、増えた人の数だけ“イメージ”を与えているわけです。仕事のことを考えたら、礼節だけでなく、話題性のある人間としても機能しなくてはならない。良いものを身に付けて目立つ計算、それも仕事のうちであると今は思っています。

 “イメージ”は、自然発生ではなく、意図して作り、利用する。言葉でいうのは簡単ですが、これほど難しいことはないですね、きっと。今度、周囲に「私はどんな人間か」“イメージ”アンケートでもやってみようか、さぞ驚きの発見があるでしょうね。皆さんもいかがですか?相当面 白い、そして相当予想外の自分が、巷をひとり歩きしているかも。

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ケイタイ、カーナビ、ネット

2008年2月

現場の段取りが悪くなったなあ、と、痛切に感じます。
いつからだと考えると、やはり携帯電話が普及してからです。それまでは、現場では連絡が取りようがないから、打ち合わせはきちんと済ませて作業に没頭していました。今では、現場でもわからないことはすぐに関係者に問い合わせることができます。その間、作業は止まってしまいます。これはEverGreenHomeの現場だけに限ったことでなく、世界のどこでも起きている現象。ホントに現場の段取りが悪くなりました、携帯電話のおかげで。

私は社内でよく「携帯電話とカーナビとインターネットが人間をダメにする」と言います。どれも使い方に用心というか、警戒心がないと、どんどん人間の頭は楽をしよう楽をしようとし始めますね。何も覚えようとしなくなるんです。便利なモノは生活を便利にしますが、必ず弊害があります。モノでもヒトでも、いちど頼ると、覚える気持ちや先読みする気持ちを依存してしまう。かつては不安な点を一掃して現場に入るのが当たり前だったのに、今は携帯電話があるせいで、準備も心がけも、後で何とかなってしまいます。時間がないからニュースはネットの見出しだけ読んでおく、なんてやっていると、現象や事件のそれぞれのディテールが頭に入ってこないから、好奇心や疑問もすごく薄いところでしか感じません。見出しだけで「へえ、そんなことがあったんだ」と思うだけでは、世の中をわかったことにはまるでなりませんからね。私は、やっぱり新聞です。

私自身への教訓も含めて、便利なものはほどほどにしないと、ですね。便利だ便利だ、と浮かれないで、情報の量 と質をきちんと取り入れる習慣を。このことは知恵や知識に影響するだけではありません。ある時には、感性にも影響しますから。

先日、所用で東京に赴き、余った時間を散歩しました。赤坂を通 り、六本木ヒルズを回り・・。あれ、人がいない・・テナントも頻繁に移り変わって・・なんだろう、この元気の無さは・・一年前とはまるで違う・・世界的な金融不安の波が、六本木ヒルズの上空を大きな暗雲のように覆い被さっている、そんなイメージの不可思議なアートのような景色。未来はここから一体どこに引っ越しをしたのだろう。

帰る道すがら、水についての新聞記事を思い出しました。農業、鋼業、生命、あらゆる分野に絶対的に必要な水を海水から取り出す事業。オイルでいっぱいのタンカーを帰す時に、今度は水を詰めて輸出することはできないかという研究。大切なのは、ヒルズが象徴だったハイテクな快楽の追求よりも、水のようにもっと生活の基本の部分で人間を支える分野なのだろう、やはり。一見きらびやかな街並よりも、頭の中に生まれた泥臭いヘビーインダストリーな光景の方が、よほど頼もしい日本の未来に映りました。ネットの見出しではなく、新聞の小さな活字の群れが与えてくれた、少々強引な心象風景がそこにありました。

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環境問題のA・B・C、あるいはD

2008年1月

いよいよ2008年。
2008年と聞いて、さて何の年だったか?と思い出した。ついに京都議定書が施行される年でした。

私としては、家づくりにメリットのあることなら積極的に取り入れていこうと思っています。
そこで、神奈川県産木材を積極的に使用することで、地産地消の文化と、近隣の森林の復活に努めていることを、雑誌広告でメッセージしました。テレビでも、大手のハウスメーカーがトビウオを題材にして山林開発の重要性をメッセージしていましたが、それと似て否なる感じでしょうか。
実際、家とはもともとその土地で育まれた木材を使って建てることがあたりまえだったわけですから、神奈川県の家には優秀な神奈川県産木材を使用しましょう、と、至極あたりまえの視点に立っているだけですが。

環境問題とは、知れば知るほど、自分が何をしたらいいのかわからなくなってしまうような感覚に襲われます。たとえば、ゴミ問題。プラスティックゴミは燃やした方がいいのか?リサイクルした方がいいのか?地球環境と処理コストのバランスを考えた場合どちらが正当なのか?・・・燃やせばCO2は発生するから燃やさない方がいい、という単純なことでもなく、じゃあ燃やさずにリサイクルした場合の再製品化に至る中間処理のコストはどれくらいかかるのか、圧縮することでも同じく発生する二酸化炭素の排出量 は理にかなっているのか、などなど、いいことばかりでは済まされない。結局リサイクルした方が3倍もお金がかかるともいいますね。一方、ゴミを燃やす場合はそのことで電力が生まれます。東京都の場合、それでもCO2の排出は0.01%のアップで済むともいいますし。

横浜市のゴミ分別は徹底していることで有名で、ビニール袋から何から全部分別の対象にされています。市民にゴミ分別の負担が増えることで、結果 ゴミの全体量が減ったという。いい効果ですね。そういう意識の面で良かったのだと感じます。しかし一方で、ダイオキシンというのは850℃以上で燃やせば自然分解され、自然界にあるダイオキシンよりも低い濃度で維持できるらしい。それだったら、まとめて1回で燃やしちゃってもいいんじゃないの?などと思ってもみたり。

 たしか作家の養老猛司さんだったと思います。氏は別 荘を建てる際にオール電化にしました。エコロジカルな哲学を一歩押し進めて、太陽光発電を付けてみたらどうかと考えて、ふと立ち止まったといいます。それは本当にエコなんだろうか?太陽光パネルを作るためにどれだけのコストがかかっていて、どれだけの輸送費がかかっている?家の耐用年数は長い、しかし太陽光発電はそんなにもつのか?否、家の寿命ほどはもたないであろう、すると修理や買い替えは覚悟しなければならない。何度かにおよぶ施工や処分はエコロジカルな行為なのか?いやいや、自然エネルギーの有効利用は未来人類の課題なのだ。・・・うーん、結局どうすればいいのだ?・・・云々。

あらゆる環境問題に、Aという考え方とBという考え方がある。半年後にはCという考え方が出現して、隣り町はなんとDという考え方だった。つねに「どれが正しいんだ?」という議論は繰り返されます。説得力のある唯一の正解を導いてくれる者は誰もいない。
だから私は、知識を高めて、日々マナーを向上させるくらいの楽な気持ちでいたいです。間違っても、考え過ぎてヒステリックにだけはなりたくないですから。

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