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President,s Column | エバー代表のコラム

President's Column | エバーグリーンホーム代表・猪狩裕一の思いをお伝えします。

年別アーカイブ:2010年

「根本を見直す」

2010年12月

マツダがすごい車のエンジンを開発したそうです。
読み知るところによると、リッター当り約30キロ走る画期的な低燃費エンジンであると。シェアの大半を占める低トルク車のエンジン開発に非常に大きな一石を投じたことになります。マツダはかつてもロータリーエンジンという自社独自の開発エンジンを市場に送り込んだ輝かしい歴史があります。信じた我が道をゆく技術者精神というものがそこに息づいているように思えました。今回はそこに社内事情も手伝ったようです。マツダは密接な関係を持つアメリカのフォード社からハイブリッドエンジンを購入せざるを得ないことから、自社内での独自的なハイブリッドエンジンの開発は行えなかったそうです。しかし、それが逆に功を奏し、全く新しいスタイルのエンジンが生まれた要因にもなったということ。しかし、やはりそこには社風というか、ロータリーエンジンを彷彿するような根本を見据える議論がなされたからなのでは、と感じます。業界全体がハイブリッドエンジンの限界力のアップや付加価値探しに時間と労力を費やす中で、マツダという会社はトレンドに流されることなくエンジンというものの根本部分の見直しを進めていたわけです。

全てにおいて「根本を見直す」という行為は必要なことです。それは言葉を換えて「原点に帰る」とも言われます。マツダのように、エンジンという根本から見直していくこと、それが周囲の出来事全体を根本から良い方向に持っていきます。世の中の動きに乗ることだけを考えて、事の発端(原点)を考えないで済ましていると、当然ですが根本的に良くなんかなりません。

根本を見直せる人とは、どんな人でしょう?
私は、逆境にいる人や、逆境を知っている人ではないかと思います。窮地にいる中で一つの信念を見出そうと必死になって、やっと見つけた信念は貫くまでやり通すしかない人です。仮にその人に頼るべき資本があったなら、たとえ窮地に立たされてもその資本が救ってくれるかもしれません。だから、お金なんかない方が、人は何かを成すのではないかと、私は思います。
私の仕事でいうなら、根本を見直すということは、お客様の声に常に立ち帰るということです。「猪狩はまたずいぶん格好いいこと言って」とお思いになるかもしれませんが、広告を行わないエバーがどうやって生き残っていくか、それはお客様個々の評価と、その評価がまた別の誰かに広まっていくよ効果からでしか導き出されないものであるからです。売上げの数字のようなものは二の次です。まず満足していただく家をつくる、それが一番でなければ、エバーという会社はたちどころに消えてしまうのかもしれません。

マツダのニュースが個人的にやけに心に残ったのは、決して気を抜いてはいけない自分の立場を、あらためて実感させられたからなのかもしれません。
先日、エバーの営業のHが、私のことを他人にこう話していたそうです。「うちの社長は、ほかの会社の社長みたいに接待やらゴルフやらで会社を空けたりしないし、ほかの会社の社長がしないような現場廻りを毎日のようにやっている。とても“まとも”だと思う。」・・・苦笑。
そうか、とりあえずスタッフからは“まとも”に見られているわけか。少しは安堵しましたが、それ以上に恥ずかしい気分になりました。Hよ、頼むから、これ以上外部には変な褒め方をしないでくれ。

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リーダーシップとは何か?

2010年11月

驚きましたね。そうです、尖閣諸島の映像流出事件です。あの映像を世間に公開した彼を、政治思想のない一般人のひとりとしてはただ単純に「英雄」だと感じました。あの行為は事後の予測をあの人物なりに立てた上でのことのようですね。激情や衝動に走っているものではないようです。法を犯したという結論が出れば、それは良くない行いをしたということになります。しかし、それとは別にピュアな感情というものはあるもので、多くの人の心は彼に味方しているように感じ取れます。そして、これからは責任逃れの合戦が繰り広げられます。しかし私達はそれを冷めた目で見つめるでしょう。大切な問題はそこではないと知っているからです。そんなことはもうこれから通用しないと知っているからです。

この事件からあらためて露呈される感情があります。この国への不安や失望です。
大方にはぼんやりとした形で「大丈夫なのか、この国は・・?」という言葉がいつも心に貼りついています。国民の政治への参加意識が薄いのは、政治に参加したところで当の政治家は何も変わるはずがないと落胆しているからです。だから余計にあっちは勝手にやっています。今日も引きずり合いの椅子取りゲームや見当違いの罪人探しをしています。それどころじゃないでしょう先生方?あなたたちがいつまで経ってもそんな風に責任をとらないでいて、ほかの誰が責任ある態度で問題にのぞむのです か?この国の責任者は誰ですか?リーダーは誰?そんな私達の声は届きません。耳栓でもしているのでしょうか。

「人の振り見て我が振りなおせ」と言ってはあまりにスケールが違い過ぎますが、リーダーシップとは何か?そういったことが、こうした最近の風潮から学んでいけるような気がします。
私レベルで整理をしますと、まず、エバーがまず第一に考えるべきは顧客益です。顧客益はバラバラの発想ではまとまったものとしての利益を顧客に与えることができません。だからそこにはリーダーが必要であり、スタッフを統率し顧客益を俯瞰するためのリーダーシップが必要になります。これが会社のかたちであり、エバーのかたちです。統率の方法にはそのリーダーによって千差万別あるでしょう。さて私の場合はどうかというと、一番大きな特徴は「人に任せることができない」という点です。これは私の性格に大きく影響していることなのですが、「後は君達に任すよ、よろしくね」などと言って格好良く現場を立ち去るような社長像を演じることがなかなかできないでいます。

決してスタッフを信頼していないわけではありません。むしろ全員が信頼に値する人物ばかりです。
それでもやはり自分の目で逐一チェックをしないと気が済まない。自分でもホトホトあきれますが、やっぱり好きなんですね、家をつくるということが。情熱というやつです。それだって立派なリーダーシップの資質だと思います。仕事が楽しい、リーダーにはそれが必要だと思うんです。それが国というとてつもなく大きな組織になった時のことなんて私には想像つきません。だけど、基本は同じなんじゃないのかなあ・・?

情熱、ないですね、今の政治には。快活で情熱的で「政治が楽しくて仕方がない」、そんな日本のリーダーを待ちわびます。ニュースを見て「いいぞいいぞ!」なんて応援できる人に、私は会いたいんです。

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町の未来と愛情

2010年10月

四半世紀前につくられたニュータウンが、徐々に活気を失っています。
大手が手がけた大規模な住宅分譲地が、やはりそれまでの歴史と同じ運命を辿るかのように見えます。そのような着手がかからないここ茅ヶ崎では、あまり体感できないような現象です。ありがたいというべきか。老いゆく町は、どの町もどこか気味のよくない印象を残していきます。水を打ったような静けさの高層住宅は無意味にそびえ立ち、かつて栄えたショッピングセンターは時代が止まったままのように押し黙っています。色もかたちも揃った民家は、規則正しく並べられたまま、例外なく均一に、最後まで個別に自己主張をしないまま古くなっていきます。見晴らしのよい交差点からふと周囲 を見渡すと、広い道幅の東西南北のどこにも人が見当たらない光景に出くわしたりします。
あの頃、未来に大きな夢をもってここに暮らしていた人々は、ここで今、何を考えて生きているのだろう?均一なままただ古くなってゆく世界の中で。町って、はたしてこんな風に刹那的なものなのだろうか?

幸いに、エバーをとりまく町並みはどこもそれぞれに魅力的です。
ホームタウン茅ヶ崎をはじめ、鵠沼、鎌倉、逗子、葉山・・・それは海があるから、という単純な理由で言っているのではありません。町並みそのものが魅力的です。おかしいな?どうしてなんだろう?と思います。よくよく考えてみると不思議ですよ。道が狭かったり、路地が入り組んでいたりして、どこも決して便利のいい町とは言えませんよね?スーパーや学校だって不便な地域はたくさんあります。それなのに皆に愛され、移り住む人が後を絶えないのです。便利であることは、暮らす上で最も譲れない条件では決してないようです。じゃあ何が魅力なんだろう、と考えてみます。

町というのは、誰かが無理やり整理整頓してはいけないものなのかもしれません。
通りも、家並みも、勝手気ままな方がいいのでしょうね。人と同じように、ある家が老いればある家が生まれ、時間の経過とともに規則は生まれ変わってゆく、それが大切なのかもしれません。どんなものでも、他人がつくったものより自分がつくったものの方が愛着があります。私たちの町には、過去永久のとりとめのない愛着がどっさりと積み重なっているわけです。

全国の皆さん。湘南と呼ばれる町に住む私たちはよく、私たちの町のこと、悪口を言います。
鎌倉の人は「不便だよ、やめたほうがいいよ」、鵠沼の人は「住みづらいよ、やめたほうがいいよ」、茅ヶ崎の人は「田舎だよ、やめたほうがいいよ」とかとか。
それって、おおかた愛着の裏返しです。鵜呑みにしない方がいいですよ。

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お施主様にとって究極の保証

2010年9月

アルミシャッター業界の不正が浮き彫りになりました。
価格を不当に釣り上げるために闇のカルテルを結んでいたのです。施主の被害の総額というのは巨額です。実際に私も過去に「値段が違い過ぎる、おかしい・・」と思ったことがありました。
エバーとしては、一会社の企業内努力として常に仕入れに目を光らせていますが、しかしそれは我々の努力の範疇を超えたところでの悪事であり犯罪行為です。いちばん損をするのは誰か?その不正に対して回収することもできず、泣き寝入りするのは誰か?それはまさしく施主です。

このアルミシャッター業界の不正に関わらず、悪いことを行った側の罰というのは、失笑しか浮かばないような軽さです。申し訳なさそうな顔をして深々と頭を下げ、社長の首がひとつ飛び、刑事罰として命ぜられた罰金を払います。信用は無くなりますが、いずれまた何食わぬ顔で残った者は商いを再開します。「この度は上の者が不始末を・・」とか何とか言いながら。それで一件落着です。毎度毎度それでいいのでしょうか?消費者の気持ちはそんなところではおさまりません。家に来て深々と頭を下げ、心からの謝罪の言葉と、騙し取ったお金をきちんと返却するくらいのことをしてくれないと。そもそもが法的な罰則金程度で済んでしまうから、このようなことが世の中から消えないだけで、罪はもっと重く(否、正当に)すべきなんです。騙し取ったお金はそっくり被害者に返却するくらいの罰則は道義的に当然だと思いませんか?そうしないと、損をする者はいつまでも損をする、騙したもん勝ちの悪しきスパイラルは永遠に解消されないもではないでしょうか。

それは世間に転がっている予測できない札、ジョーカーのようなもの。そのようなババを我々はいつ引くのか?一寸先は闇です。守るべきは自らの見識と知恵です。ちょっと考えればわかること、疑問に思うことを、ちょっと考え、疑問に思うことです。「長期優良住宅か、なるほど、それは素晴らしい!」ダメダメ!いけませんよそんなことじゃ。素直過ぎます(笑)。本当にそのスペックほどに鉄筋や構造材が必要ですか?その資源の無駄使いが地球を苦しめることを想像できませんか?基礎のコンクリの寿命はおおむね50年と言われています。寿命が来たら大型のクレーンで基礎部分を取り換えるのですか?そこまでの保証もしくは約束はどうなっていますか?

第一、50年後、100年後のことなど想像すらできませんよね。50年前の人が今の社会を想像できないのと一緒です。しかし、そこに唯一、将来への保証を創り出すとしたなら、たとえばそれが家であるなら、最も大切な保証とは何だと思いますか?それは、建てた家が、壊れることなくきちんとあること、それが究極です。契約書の文言をこねくり回すことも必要ありません。長期なんたらとかいうまやかしのセールストークで丸めこむことも必要ありません。さらに言うなら、エバーという会社が存在しなくなろうが、関わった職人が存命でなかろうが、建てた家さえ壊れることなくきちんとあれば、そういう家さえつくることができれば、その他の保証も逃げ口上も一切無意味です。

エバーという会社は、お施主様にとって究極の保証を与えるべく、そこに向かっています。綺麗事ではなく結果を出すことが全てだと思っています。これは基本的な理念です。しかし、それがあるのとないのとでは、つくるものは天と地ほどに違うと私は思うのです。

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エバー恒例の地引網を無事終えて

2010年8月

毎年恒例のエバーの地引網が行われ、何事もなく無事に、そして想定以上に楽しく、幕を閉じました。今年はいつになく賑やかでした。なにしろ人数にして何と500人以上の方に来ていただけたのですから。昨年の来場者数が300人に満たない程度でした。その数だけでも相当に盛大だったことがおわかりいただけると思います。この夏の好転にも恵まれ、まさに夏休みの楽しい一日。お施主様、関係者の皆さん、さぞかし陽に焼けたのではないでしょうか。

そして、嬉しいことはまだありました。数年ぶりにシラスが大量に獲れたのです。いいことは続くものですね。これで面目が立ちました。獲れたての生シラスを嬉しそうに頬張る参加者の皆さんの笑顔を見て、救われた気持ちです。「地引網をやり続けてきて本当によかった」今年は心底そう感じました。

毎年、歴代のお施主様や、お世話になっている関係者の方々を招いて催される地引網は、ただただ、「夏の一日をみんなで遊ぼうよ!」というお気楽なものです。しかし会社の長である私にとって、心持ちとしていくつかのテーマのようなものもあります。

ひとつは、子供たちがどれだけ大きくなっているか、を楽しむことです。家を建てた時にはまだ赤ちゃんだった子が、毎年確実に大きくなっていくのを観察するのはとても楽しいこと。気がつくと私はよく叫んでいるようです。「え!?もうこんなに大きくなったの!?」と。毎年毎年、あいも変わらず叫んでいるようなのです、私は・・・。だけど、それが楽しい。その家の、そのお宅を建てた時のことを思い出したり、その時のご家族とのエピソードを思い出したり。お施主様の皆様を、私は何だか勝手に同窓生のように見立てて、勝手に同窓会を楽しんでいるような気分なのです。そんな風に思っているスタッフも、きっと大勢いるはずです。

そしてもうひとつ、私なりのテーマとしてあるのは、地引網に来ていただくことで、エバーという会社に大きな安心を感じてほしい、ということです。世の中、会社が突然消えてなくなったり、責任ある者がある日突然にケツをまくるようなことが日々平気で行われています。けれども私たちエバーは、今年もこうして生き生きと会社をやっています、と伝えていきたいのです。お施主様とは、家ができた時から本当のお付き合いが始まると思っています。これからも一緒に生きてゆく上で、余計な心配はかけたくないのです。

だから、地引網って大切な行事なんです。
考えなしに皆様に壇上でコーラ一気飲みをさせているわけではないのです。笑

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応援したい人、応援したくない人

2010年7月

サッカーのワールドカップがとても盛り上がりました。前評判の良くなかった日本代表チーム、蓋を開ければ素晴らしい内容を残しました。アウェイで初の予選リーグ突破、その結果だけを取ればふがいないと思う人もいるでしょう。しかし日本のW杯での歴史はたかだか10年余り。ブラジル、アルゼンチン、ドイツ、イングランド・・・そういった強豪国が背負ってきたものとは時間も重みも違います。むしろ結果よりも、今回は試合内容です。みんなでひとつになってボールを奪って、ひとつになって点を取りにいく。レギュラーも控えも関係なく、みんなが願いをひとつにして全ての試合で全力を出しました。ずるがしこくなく、正々堂々と、ただひたむきに。だから感動を誘ったんですね。心から応援したくなったのですね。今回は負けたけど、次はきっと勝って欲しい、そう思わせてくれました。

そしてテレビのニュースは次の話題に移ります。そう、日本相撲協会です・・・。ここ数日はサッカーと相撲協会という、真逆の性格の報道がテレコで流されました。こちらはというと、ずるがしこい、の最たるもの。言い訳ばかり、なすり付けばかり、保身ばかりが見え隠れ。かしこいことは大切です、けれどあんな風にずるがしこいのは見ていられません。知恵も体も全力で向かっていったのがサッカーで、ずるがしこく逃げ回っていたのが日本相撲協会。

応援したい人とはどんな人か、応援したくない人とはどんな人か、非常に対照的なコントラストを感じました。

勝負事は、いや勝負事に限らず、世の中というものは、勝ってなんぼです。勝たないと次がありません。勝てば何でも言えます。けれども、ずるがしこく勝った人には、後がありません。困った時に誰も救いの手などさしのべてくれません。ずるがしこく勝つくらいなら、正々堂々と負けた人の方が、まだましです。「次に勝てばいいよ」と、みんなが応援してくれる人達がいるからです。

スペインとオランダ、勝ったらどちらもワールドカップ初優勝。この原稿を書いている時点で私はまだどちらが王者となったのかを知りません。けれども結果は明白です。1チームは試合に勝つチーム、そして残りの1チームは負けたけど次に勝つチームです。だって、次はもっと大勢の人が応援してくれるはずだから。そう考えると、一生懸命にやって負ける、それもなかなかいいものです。

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全力疾走の後の休み

2010年6月

最近、珍しくよく休みをとっています。
元来の私は仕事が趣味のような面白味に欠ける男です。定休日やお盆や正月は普通に休みますが、それだけで十分足りていたし、仕事があれば三が日だろうが働いてきました。特別な自分だけの休みはあまり欲しいと思いませんでした。これといった趣味がなく、自然と仕事が趣味のようになっていました。
そんな私が、最近はよく休んでいます。心境の変化でしょうか。しかし、どう心境が変化したのかはわからないのですが・・・。困ったものです。

そんな私ですから自ずとよく働いてきました。働いて、働いて、少しでもお客様に良いものを提供したい、そのためには有能なスタッフもより多く取り入れたい、お客様が居心地のよい社屋も欲しい、そういったことで日々あくせくしてきた人生です。

歳を重ねるごとに物欲がなくなっていくことは少しせつなさを感じます。ですが仕事に関しての欲は変わることなく後から後から湧いてくるものだから不思議です。目標に行き着く前から、さらにその先の目標を見据えてやってきました。まるでゴールの定まらない長距離をゼエゼエ言いながら全力疾走しているような感じでしょうか。景色を楽しむ余裕もなく、ただ前へ、前へ、目先のゴールめざして、ハアハア、ゼエゼエ、と。ひょっとしたら、これからはそれではいけない、と思い始めたのかもしれません。景色を楽しんだり、空気の匂いをかいだり、時には立ち止まったり、そうやって走り続けた方が楽しいに決まっています。その後も走りも快適です。

さて、エバーは今半期の決算を良い数字で終えました。完成内覧会も好評のうちに終了しました。
そんな今、私は自分自身に向かって、「おい、そろそろ少しは休めよ」と言っているのかもしれません。休める時には休んでおく、今さらながら身をもって感じている気がします。

ところで、決算の話が出たので、ついでに。現在エバーはおかげさまで好調ですが、私個人の望ましい数字としては、現状の10%の売上増です。それが実現すれば、スタッフへのフィードバック、全社的な能力向上への出資、ワンランク上の資材提供、などなど、お客様にとっても社内にとってもプラスになるビジョンが組み立てられます。さて、どうすれば?・・・と、こんな具合になってしまうので、来月辺りはまたもや全力疾走していそうな私です。

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お客様の得を考えることが、つくり手の得になる

2010年5月

小川道場の実績から、小川直也さんの取り計らいにより横浜白楽にある「朝飛道場」(兼ご自宅)の建て替えをエバーが仰せつかることになりました。道場長である朝飛大さんと小川直也さんは明治大学の先輩・後輩の関係で、同じ神奈川県下で柔道を通しての健全な児童の育成に貢献なさっていることから、小川道場を設計施工したエバーの実績を伝えてくれたのです。うれしい限りです。

明治大学柔道部ホームページより、朝飛・小川・吉田他8道場による合同げいこの様子
http://www.meiji-judo.com/untitled_000.htm

その「朝飛道場」ですが、今年、全国少年柔道大会で三連覇を成し遂げました。私としても喜びは最高潮です。50年の歴史ある道場が新しい道場に生まれ変わっていく節目に関わらせていただいているのですから、有終の美を飾るのと飾らないのとではまるで違ってきます。エバーが関わってせいで弱くなった、などと言われてしまっては悲しいです(笑)。晴れやかな気分で堂々たる新道場に携わらせていただきます。

ところで、朝飛さんはエバーにお話をいただく前は或るゼネコンと若干の建て替え話を進めていたということです。このご時世に理解に苦しむ話だったので、これから家を建てようとお考えの方にも教訓になるかと思い、ご紹介させていただきます。

そのゼネコンは軽量鉄骨ニ階建ての簡素な見積書を一枚出し、その予算ではこれしかできない、と朝飛さんに言ったそうです。これといった提案もなく、実情も踏まえず(知ろうともせず、と言った方が正しいでしょうか)道場側の希望も、ご自宅としての要望も、それはできない、それはできない、と「NO」の一点張りだったそうです。間取りも生活導線も考えられていない有り様でした。それだけでなく、支払う必要のない三分の一の着工金まで要求されたそうで。そして・・・そのゼネコンは二カ月後に倒産したそうです。何と言うか・・・。あの時もしも着工金を支払っていたら・・・そう想像すると冷や汗が出ると、今も朝飛さんはおっしゃっています。

そんなことがあってから、我々は小川直也さんを通して朝飛さんをご紹介いただきました。
エバーではある裁量のもとにRC造四階建てをご提案しました。道場とご自宅を兼ねるのですから、耐久性と快適性に優れたRC造がふさわしいと、普通に結論を出しました。
また、道場経営も大変であろうと思い、資産価値を上げることも必要だと、普通に思案しました。賃貸収入を得るなどしてローンの負荷を落とすことも重要と考え、その機能も兼ねた四階建てをお薦めしました。初期投資は増えますが、二階が四階になったところで建築費が倍になるなどということはありません。むしろ資産価値を上げるというビジョンを組み入れたので、銀行も融資がしやすくなりました。結果として、当のゼネコンが提示したものに比べて面積は倍になり、賃貸の住居が足され、設備が増え、構造が軽量鉄骨からRCに変わり、それでも5割程度の増し分で済ませたプランに、朝飛さんは大変喜んでくださいました。
以上、決して自慢などではありません。むしろお客様の将来を普通に考えれば、建物をつくるプロであれば自然と考えうる提案だと思います。お客様の得を考えることが、つくり手の得になる。商売の原点です。

それでも朝飛さんは今、我々との新しい道場づくりの共同作業に「楽しくってしょうがない」とおっしゃってくださいます。全国少年柔道大会三連覇、我がことのようにうれしいです。新たな出発にエバーが関わらせてくれていることに、大きな誇りを感じています。

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このご時世、坂本竜馬がいたならば

2010年3月

福山雅治さん演じる坂本竜馬が今年は人気者ですね。ドラマでも描かれている通り、竜馬という男は典型的な大器晩成型です。実像は中学生くらいの年齢までおねしょをしていたという話も。家族もつくづく将来を憂いていたと聞きます。それが人生の後半にメキメキと頭角を現し、やがては日本を背負って立つ大物へと成長していきました。強いだけではない、優しいだけではない、その両方を兼ね備えた男に。そんな男だからこそ、彼は今の時代にあっても抜きん出て男達の憧れの存在なのでしょう。

ところがどうでしょう、今のこのご時世に竜馬という男がもしいたら、やはりあの頃と同じく、歴史に残るような大人物と成り得たかどうか?う~ん、おそらく無理でしょうね。竜馬に限らず、大器晩成型の人間は生きづらいでしょうね。 
バブルの崩壊から日本は大きく雇用形態が変貌しました。
会社主義から個人能力主義へと。上司の命令をそつなくこなしていれば安泰だったはずが、組織という頼れる存在を失ってしまいました。自分を助けてくれるのはもはや自分だけ。成果を残してなんぼです。その傾向は今だ濃くなっていく一方です。

利益を作り続けることができなくなったら、容赦なく、ハイおしまい。
かつて流行った「今日がだめなら明日があるさ」という歌は、「今日がだめなら明日はないさ」という歌詞に書き換えないと成り立ちません。「コイツはいつか大物になる」と人を信じて猶予をつくることができないなんて、私としてはせちがらい世の中に思えます。竜馬だって、周囲の猶予が彼をあれだけ大きく育てたのですから。

悲しい現実ばかりを嘆いてみてもしょうがなく、最近の良いところを考えてみると、そんな時代だから皆、若いうちから個々に問題意識を抱えている点です。
エバーのスタッフは皆が若いのですが、年長の私が感心するほど、日々自らの成果をいうのを貪欲に追い求めています。理由は簡単です。そうやっていかないと、誰も助けてくれないからです。

明るくて気のいい面々ですが、内面は今の自分では満足できない沸々としたものを持っています。
自分に満足しては終わり、という 感覚を、宿命的に背負って生まれてきたからなのかもしれません。今のスタッフには様々なことを任せられるし、安心をしています。

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サービス資源に恵まれている国、日本

2010年2月

長く景気が芳しくないことから、国内の旅行業界も大きく変わってきています。

今までのような慣習的な商売のやり方を打破して、本当に求められるお客様優位のサービスを提供することで活性への巻き返しを図っています。窮地に立たされたことで、ようやく目が覚めたといったところでしょうか。そうなった時のこの国というのは強いものです。そもそも場所、歴史、食、安全など、日本はサービス資源に恵まれている国。持ち前の機転できっといい結果を生むことでしょうね。

私たちエバーもサービス業であらねばならないと思っています。
「良い家だけをつくっていればそれでいい」という会社は、良い家などつくれないような気がします。
なぜって、我々は、いい家をきちんと買ってもらえることが大切だからです。売れすぎはよくありませんが、売れることは大切です。テレビのインタビューで、世界的な金型の技術を誇る燕市の職人がこう言っていました。「いいものをつくるだけでは我々職人は報われない。いいものをつくって、それが売れてはじめて報われる。」
いい家をつくり、いい家をつくる会社としてビジネス的に好循環となり、お客様も我々も皆が幸せにならなければなりません。これは本音であり、理想でもあります。

さて、そこで、前々から思っていたことがあります。

そもそも、どうして今、水曜定休なのだろうか?
今の水曜定休で不都合なお客様が少なからずいらっしゃるはずです。ご主人が水曜定休であれば打合せに支障をきたします。だったら水曜も営業日にした方がいい。なんだ、かんたんな解決策ではないか。
現在スタッフや関係者と詰めている段階ですが、今春を目標に、エバーは年中無休にしようと考えています。スタッフはその時々のお客様のサイクルに合わせ、休みをフレックスに取るような構想です。結果的にその方が出勤日の集中力が高まり、休日出勤も減る。お客様とのコミュニケーションが密になり、よりご要望に合った家が考えられる。自己管理が高まり、休日の計画が立てやすくなる。と、賛同の声も多くあります。旅行業界ではありませんが、エバーだって常に既存の通念に疑問を持たなければなりません。

良い変革は、どんどんしていかなくてはなりません。サービス資源が豊富な国に、私たちは生きているのですから。

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「和の回帰」

2010年1月

デザインは機能の先にあります。逆を返せば、良いデザインとはふさわしい機能を有したものでなければなりません。

窓ひとつをとっても、なぜここに窓が必要なのか、なぜこの窓はこういう材質でこういう大きさなのか、という問いに、つくり手が明確な答えを持っていないとなりません。

「どうしてここに窓が必要なんですか?」と問われて、「いや、そういうものだから・・・」などといい加減に答えるつくり手がいるとしたなら、そのつくり手は何も考えていないということです。
人間というのは実に不思議なもので、何かをずっと見続けていると、どういうわけかそれがそこにあるのが当たり前だと感じます。必要のない場所に窓があっても、それを見続けているうちに、模倣をすることだけはできるようになってきます。
しかし、理由のない窓など、デザインとは呼べないのです。残念ながら、そんな模倣家がつくった家は数多くあります。残念です。

 昨年、エバーは総力をあげてモデルルーム「VILLA EVER」を完成させました。
エキスパートが集ってああだこうだと考え、悩みながらできていったその家は、はからずも和の風合いに満ち満ちた空間に仕上がっていきました。(画像はモデルルームのページにあります。)そこであらためて感じたことは、日本の伝統の工法が持つ優れたデザインです。大きさの理由と小ささの理由。広さの理由と狭さの理由。高さの理由と低さの理由。在ることの理由と無いことの理由。・・・どんなに些細なことにも意味を感じることができました。否、いかに些細なものであるからこそ意味があり、そこに明確な機能性がある、これは広大な土地と石を主体とした欧米の建築文化とは土壌の違う、研ぎ澄まされたデザインの意味、意義です。

和の回帰。これは多かれ少なかれ、振り子の行ったり来たりのように現象として揺れ戻っていることですが、今まさにこの動き「和の回帰」を感じています。
ざっくりとした広さや抜けの良さといった空間の嗜好が、緻密さを追い求める風潮へと移り変わってきているように、私はいま感じています。デザインが、より厳しく問われる時代です。

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