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President,s Column | エバー代表のコラム

President's Column | エバーグリーンホーム代表・猪狩裕一の思いをお伝えします。

年別アーカイブ:2012年

「考える人」でいる

2012年12月

選挙が近づいてきた今、「日本をダメにしたB層」なんていう言葉がマスコミに流されています。「B層」って、何だか知っていますか?

「B層」とは、もともとは2006年の小泉郵政選挙に遡ります。自民党がとある広告会社に、メディアを使って選挙戦をどう戦うべきか、という分析をさせました。その企画書によると、国民がA~D層の4階層に分類され、そのうちのB層とは、「マスコミ報道に流されやすい、比較的IQが低い人たち」、「具体的なことはわからないが小泉純一郎を支持する層」のことでした。広告会社は、彼らをターゲットに選挙戦を戦うべきだと分析しました。今、その「B層」が日本をダメにする、などと再び騒がれています。

ものごとの真理はよくわからないし、わからなくてかまわない。わからなくたって生きていけるのだから。だから、なんとなくの感覚であっちとこっちだったら、こっちの方がいい。・・・なんかそういう感じなのでしょうね、「B層」の感覚とは。一概にはわるいことではないとは思います。その人その人の人生観なのだから、私には関係ありません。
しかし、それは何らかのかたちで私と関係をもった時、許されないこととなります。何故かというと、「B層」は今や、社会に圧倒的な影響を与えていて、末端で私に影響を与えているからです。

「B層」という言葉の発端はかつての選挙戦略ですが、問題は選挙だけじゃなく、簡単に言えば今の世の中すべてに影響を与えています。なんで流行っているのか首をひねる音楽も、浅過ぎて最後まで読むのが辛い小説も、何かが当たればその他全てが同じデザインになる家電製品も、組み合わせが奇妙なお菓子も、何も考えずに観ることができるテレビ番組も、可愛いというキーワードだけで運営されているテーマパークも、気がつくと買いたくなっている安い衣服も、この「B層」マーケティングが圧倒的な影響を与えているのです。

お菓子などはともかくとして、何事においても雰囲気やルックスで選ばれてしまうと、これは世の中、困ったことになります。得てして、選んだら終わり、になってしまうからです。そして、選んだらもう何もしなくていい、という思考回路だとしたら、これはさらにまずい。そういうかたちでリーダー選びのような国政選挙に参加してしまったら、その後の評価まできちんと行う全うな人達の影響力は落ちるばかりです。政治家も雰囲気やルックスや耳触りのいい言葉ばかりで勝負するようになってしまいます。世間はますます選ぶだけの人達「B層」だけを見るようになってしまいます。

小さな会社のリーダーである私は、痛切に感じています。この会社が幾分かでも成長し続けているのは、私がたえず周囲から評価を受けているからです。いい評価は維持して、わるい評価は直そうという気持ちを大切にしているからです。表面だけで仕事をするのは絶対によくない、と思っているからです。それをスタッフは皆、見て育っているから、会社としてどんどん良くなっていくのだと感じています。
おそらく私自身が「B層」化したら、エバーという会社は簡単に滅んでしまいます。ものごとを表面だけでとらえることは、楽なんですよね。実際、新しく入ってくるスタッフにも、そういうタイプの人は結構いるんです。けれど数カ月もすると、そういう表面的なものの考え方ではなくなっています。荒い仕事がいつしか驚くほど丁寧に変わっていくのです。環境と練習と自覚さえ整えば、たいていの「B層」さんはそうではなくなるはずなんです。
断言しますが、現在エバーは、全員「考える人」です。「B層」率ゼロ。素晴らしい会社です。

話がそれました。さて、世の中の「B層」の皆さん(と訴えたところで本人に自覚がないのかもしれませんが)。国政選挙は、選挙だけがんばっている人なのか、その後に約束を守ってくれる人なのかを、見極めていきましょう。
そして選ばれたリーダーを、一人ひとりが今後も根気よく監視していきましょう。そうすれば、日本という私たちの会社も、絶対に今よりもっと良くなるはずです。

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経験値が増えるということ

2012年11月

かつて「美味い」と感じた高級店に久しぶりに出かけると、どうしてでしょう、少しがっかりしたような気分になります。
その理由の一つは明らかです。味覚が発達したということです。これは至極当然ですよね。食べることだって経験です。経験値の少なかった頃に食べたものだから、割に気安く「美味い」と感動してしまいます。そうして年月が経ち、味覚は記憶が薄れたとしても、“あそこのあれは絶品だった”という感情の記憶は強く残り続けます。場合によっては当時より強いパワーとなってデフォルメされたりもします。経験値が少ない時の私がその頃に感じた“美味かった”という思いは、経験値が増した現在の私ではもはやなかなか感じることができなくなってしまった、ある種特別で鮮烈な感覚です。
その証拠に、今では高級な店で美味しいものを食べたとしても、後生大事に心にしまっておけるほどの鮮烈な思い出にはなりませんからね。

かつての自分よりも経験値が上がってしまったものは、味だけではありません。かつては評価の軸を「味」や「雰囲気」程度しか持てなかった自分が、変わったためです。今の自分には、それだけでない、さまざまな要素を口や目や耳から感じてしまいます。「どうしてこのレベルの素材でこれだけの値段を取るのだろう?」とか。「これだけのスペースでなぜこんな落ち着かないテーブルの配置をしているのだろう?」とか。「このメニュー構成はどういうお客さんにどういう気持ちで来てほしいのだろう」とか。かつて「美味い」と思ったものとの久しぶりの再会を、単純に喜ぶということではなくなってしまっている自分がいます。
せっかくの高級店なのだから、味だけではなく、店の考え方や、格のようなものも一緒に感じたいわけです。それが、高いお金を払う価値だと、今の自分は思っているわけです。

何も足しげく高級店に通っているわけではないし、いわんやグルメという類でもない私です。800円の美味い定食ランチが大好きです。
それでも今のこの年齢の私というのは、高級そうな店に入ったら、その店の品定めをします。
マイナスを探すというような野暮なことではなく、「この店のどこが高級なんだろう?」と探りながら、格とか本質といったものを知りたいと感じます。そうする行為が、予想以上に美味くもさせるし、反対にがっかりもさせます。

経験値が増えるということは、ジャンルの違う場所から何か大切なものを学びたいと思う気持ちが強まるのかもしれませんね。

さて、ここまで書いて、今日の昼はどこで食べよう?と考える私ですが・・・。
やっぱり「グリルタグチ」で、バクバクとドライカレーを食うのが素敵です。

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テレビっていうのは

2012年10月

年齢のせいでしょうか、テレビをあまり観なくなってきました。少なくとも、目的とする番組もなく単にだらだらと観るなんていうことは、すっかりしなくなったようです。それに、テレビ自体が面白くなくなってきたような気もします。ニュースですら、近年なおいっそう、物事の表層しか捉えていないという印象です。「え、それ本当?嘘でしょ?」なんていう風にツッコミを入れたくなるようなことばかり言います、テレビっていうのは。

「消費税が上がるから駆け込み需要で業界は潤うでしょう」なんて、テレビは言います。よく言うよなあ、なんて思います。何年前の話をいまだにしているのでしょうね。大方の国民は、消費税が上がったら、その後は実際の買え控えの対抗策として物の値段が下がること、よく知っていますから、そんな脅しには今さら乗っかったりしませんよね。建築業界だったら、建て売り住宅や既に建ったマンションは、むしろ増税前より安くなる場合も多くあります。そういった“在庫”を抱えることのない、請け負いであるエバーにはそういう現象は起きることはないので、むしろ増税というのはもろに利益に響くことではありますが、増税はある会社にとっては在庫処分のチャンスでもあるわけです。さしずめ家電業界であれば、エコポイント終了後に在庫は大幅値下げされます。さしずめ自動車業界であれば、「消費税還元キャンペーン!」なんていう名前の値下げがすぐに始まります。駆け込みという言葉に踊らされる人なんて、いませんよ、ね。

民主党と自民党の腹の探り合い、なんていうのも、テレビは毎日のように映し出します。あれほど期待させた瞬間は今はどこへ行ったのか、政権与党は文句ばかりで責任をとろうとする人が見当たらず、腹が立つばかりです。かつて文句ばかり言っていた人達というのは、いざ立場が逆転しても、ああも相変わらず文句ばかり言い続けるものなのでしょうかね。政治だけでなく、思わず周囲を見渡して似たような人物を想像してしまいます。そして、やっぱり腹が立ち、ああ、こんなニュース番組は時間の無駄だった、と反省します。

私のような人間は別として、物事の表層しか捉えていないものを観て、素直に「ああそうなんだ」と納得してしまう人は、実はとても多いようです。何かわかったような気分になって、疑問を持たずに落ち着いてしまう人たちは、安易に安心したいためにテレビを見続けているのかもしれません。一方、私のような人間にとっては、テレビは物事の上っ面しか届けない、都合のいいことしか言わない、としか思えなくなってしまい、それがさらに積み重なって、いつしかあまり観なくなってしまいます。

そんな私が、最近で面白いなと思ったのは「家政婦のミタ」くらいでしょうか。ああいうのは、腹も立ちませんから。

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変わらない世の中

2012年9月

私は日々のつれづれを気軽な日記としてブログを書き綴っているのですが、先日そこで子供の頃に読んだ漫画の話題を取り上げました。私としては何かのきっかけで急に思い出したようなことなので新鮮に思い、書いたつもりだったのですが、とある読者さん(貴重な昔からの愛読者です)から、「猪狩さん、その漫画の話題、確か4年前にも書いていましたよ」というご指摘をいただいたんです。そうだったのか、初めてじゃなかったんだ、と驚きました。子供の頃に影響を受けたことって、おそらくずっと心の底で眠り続けているものではなく、時おり何かのきっかけひょいっと記憶の底から浮き上がって来るようなものなのかもしれないです。面白いものだなあ、なんて思っていました。

そのことがあって、なんとなく4年前のブログを読み返していました。ブログを始めて間もない頃で、今とは違い、毎日のように面白がって書いていた頃です。

リーマンショックの影響で建築業界も大きく揺らいでいたあの頃、軒並みに会社が潰れていました。いい加減なもので、会社の経営状態をひた隠しにして契約を取り、お金だけ取って潰れるような会社もたくさんありました。ありきたりの謝罪の言葉と、儀式のように頭を下げて許しをもらった気になったような、そんな経営者がたくさんいました。泣きをみるのは帰らないお金を払ってしまった施工主と、倒産した会社で一生懸命に働いていた雇用者です。彼らへの救済は社会的にひどく冷たいものです。当時のブログで私はしきりに「経営者の社会的責任が甘過ぎる」と怒りの言葉をぶつけていました。同業の経営者としてより、むしろ同じ人間として許されない思いで心底怒っていました。

そして4年が経ちました。その経営者の多くは今、組織を変えて社長として復帰を果たしていたりします。会社を倒産させたことへの社会的な制裁が画一的に甘いから、復帰することにも後ろめたさがない人も多い、そんなような気がします。損をさせてしまった人達への代償は、社会的制裁ではなく、むしろその経営者の良心にかかっています。罪を感じない経営者は、罪をつぐなう必要性など感じません。「まあ過去のことは過去のことですよ」くらいのことかもしれません。

世の中、変わらないんだなあ、とつくづく思っていました。

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人材育成の考え方

2012年8月

気心の知れたスタッフが独立のために退社することになり、送別会が行われました。
良い方向に育ってくれたので、これからも彼らとは仕事も含めて良い付き合いをすることができそうです。長年、同じエバーの屋根の下でやってきた我々なわけですから、今後もあうんの呼吸で良い成果を上げてくれるだろうことは、エバーにとって大きな財産になるでしょう。場合によってはエバーの中に価値観の異なる良い風を持ち込んでくれることもあるのかもしれません。

エバーという会社での私の人材育成の考え方は、「全てを学ぶべき」ということです。
設計であってもコーディネーターが仕事がしやすいようにと考えることが大切ですし、コーディネーターであっても営業が仕事をしやすいようにと考えることが重要です。それぞれの職分というのはあるにしても、自分のテリトリーのことだけをやっていて、他の人のことは知らない、というような仕事のし方はして欲しくありません。

「あ、その件は私の担当ではないので」なんていう言葉が会社組織ではよく聞かれますが、そういう意識の人間はエバーでは必要ありません。なぜなら、つくるものは一つだからです。

柱の位置、照明の位置、窓の位置・・・家のすべての位置には理由があります。
しかしそれを組み合わせる時に、構造面、配管面、導線、採光、その他いろいろの複雑な条件をクリアしなければなりません。そのためには自分以外の専門の領域とコミュニケーションをとり、折り合いをつけないと何ひとつ解決できません。折り合いをつけるためには、前もって相手の主張を想像しておくことが大切です。相手の立場を考えて解決策を模索しておくことが大切です。
だから、自分以外の領域の仕事も知っておくことが必要であり、そのために「全てを学ぶべき」と思っているわけです。

私がスタッフから仕事の報告を聞く時、そういった点がなされているかどうかを察してみたり、スタッフに問うてみたりしています。その練習は、ゆくゆくそのスタッフの大きな財産になると確信しています。答えを出すのは簡単です。
しかし大切なのは、問題を解くための道筋です。とくにエバーの仕事は大変だと思いますよ。
覚えたいくつかの公式だけで解こうとする人には、解けないことがいっぱいある会社だと思いますから。

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「できる人」の成果

2012年7月

相手に必要以上の不安を与えてしまうというのは、非常によくないことだと思います。

私たちのことで言えば、お客様の不安に一緒になって不安がってしまうことです。そこで黙ってしまおうものなら、それはもうそこで終わり。最悪です。正しい行いは、その不安感を前向きに検討しようとする気持ちと意思表示です。日を置いてでもいい、必ず何とかする、できる、と責任をもって応えられること。一緒になって不安がっていてはいけません。それはお客様をさらに不安がらせることになります。

解決するにはいろいろな方法があります。真正面からぶつかるだけでは解決策は見つからないのかもしれません。むしろ角度を変えて物事を見るところから、物事の真理は見えてくるものなのかもしれません。眺める角度をもっている人のことを、「応用がきく人」と言います。眺める角度を何方向か使い分けられる人のことを、「できる人」といいます。

話は変わりますが、最近の大雨により九州地方で多くの犠牲者が出ました。近くの川が氾濫して集落が襲われ、何十人という人の命が奪われました。大人の背よりもはるかに高い堤防が決壊して、川の流れはまるで土石流のように重たい土砂を含んで襲ってきました。これなら大丈夫と自信をもって建てられたコンクリートの堤もむなしく意味を失ってしまいました。

まるで昨年の東北大震災でいともたやすくスーパー防波堤を乗り越えた高波を思い出させます。堤の備えは素晴らしいことです。しかし、どんなに高い堤をこしらえたところで、自然の猛威を完全にシャットアウトできないことを、私たちはあの震災で思い知らされました。備えは大切ですが、完全に防ぐことなど不可能なのです。

自然の猛威は完全に防げる、自然には勝てる、というのは間違いです。むしろ、自然には勝てない、と断言した方が正しいと私は思います。そう、だから「逃げる」とか「逃がす」という発想がとても大事なのです。

第一、日本全国がスーパー防波堤のような防御に途方もない予算を使うなんて、ナンセンスだと感じませんか?それじゃあ陸地から波の高さが確認できないじゃないですか(苦笑)。先日の九州の洪水だって、川の防潮堤は水位を確認できませんでした。

水があふれたと知ってから、家の一階部分がまるごと水に呑みこまれるまでの時間は、わずか15分足らずであったそうです。行政は堤に過信するのではなく、決壊を想定して近くに逃げ場所を確保することだって大切だったはずです。

神奈川県内初の津波避難タワーというのが藤沢市の県立湘南海岸公園に先日完成しましたね。海水浴シーズンが始まるのに合わせて建設され、地震発生時に沖にいて逃げ遅れた人の避難を想定しているものです。いわゆる火の見やぐらのような形状のもので、一度に約100人を収容できるそうです。このようなものが、湘南の海沿いの地域にいくつもできれば、それは安心が増えるだろうと感じます。公園の一角でもいい、遊んでいる空き地でもいい、「いざとなったらひとまずあそこに逃げよう」という場所です。お年寄りだって近くにそういう場所があれば必ず助かります。何でも3000万円かかったそうです。いくつ作ったって、防波堤よりは安価だし現実的です。

「逃げる」「逃がす」という、自然の恐さを知った上で今できることをきちんとやっている人は、防波堤さえあれば安心だと言い張ってそればかり主張する人よりは、はるかに「できる人」の成果だと、私は思います。

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現場主義でありたい

2012年6月

どこの会社でもあるように、エバーにもスタッフが集う定例の会議というものがあります。

そこでは現状を報告したり、他人の仕事を良し悪しを含めて評価したり、要は会社のレベルアップを全員でめざす目的の場なのですが、総じて「報告会」として必要なものです。
それとは異なり、仕事を終えてからのスタッフとの食事会などは、皆が権限や立場をある程度取り払って気安く、しかし真剣に会話ができる場としてもとても重要で、それはやはり報告会ではなく「現場の延長線上」です。

双方とも大事なものですが、たとえば経営者である私が、会議の場で「経営の指針」なるものを難しい顔をして皆に説明しても、それはなかなか伝わりづらいものです。

しかし、仕事終わりに一緒に唐揚げ定食でもかぶりつきながら、「これからはこんな風に考えているんだけど、皆はどう思う?」などと持ちかけると、その反応の強さや速さというのが明解です。相手が思っていることや疑問に思うことをすぐに感じ取ることができたり、その相手ゆえに発せられる個々の考え方が言葉になって返ってきたりします。自分の主張を理解してもらうだけでなく、それ以上に相手のことがよりよく理解できたりもして、いろいろな意味合いで双方に発見が多いのです。会議がよくないと言っているのではなく、会議では生まれないものが生まれているということです。何かこう、ソウルフルな部分というか・・・

「気合いを入れ合っている」なんていうことかな、とも思います。とても原始的なことなのですが、とても大切なことに思えます。気合いとは、伝染させるものではなく、本来は自分だけに発せられるもので、他人にアピールすることが目的ではありません。しかしそれが自然なかたちで相手に伝わった時には、とても良い効果をもたらします。しかし、そうした「気合い」のようなものは、なかなか会議のようなものでは交換しづらいものです。

「あいつがあれだけ真剣に考えているんだから、俺も負けてはいられない。」そう思い合えるのは、やはり会議の延長線上ではなく、現場の延長線上なのかもしれません。立場上やむをえず現場を遠ざかることもある私ですが、他人の気合いをもらうためにも、できるだけ現場主義でいたいと願っています。くだらない話も山ほどする私たちですが、気合いもなかなかのものだと自負しています。

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「先読みする力・プラスアルファ」

2012年5月

おかげさまでエバープロデュースのレストラン「ル・ニコ・ア・オーミナミ」が4月のオープン以来ご好評をいただいております。
想定をしていた通り、まずはランチタイムに多くの皆様が足を運んでくださっています。フレンチの新店ですから、思いつきで「行ってみよう」とはなかなかできないもので、とりあえず行った人の評判を聞いてから本腰を入れてディナータイムへ、というのが筋であると思っていました。まずお試しでランチから、というお客様の動向はごもっともです。長い目で見ていただけたら本望です。

さて、大変だったレストランのオープンが無事終わり、ひと息ついて後の今の私はというと、「原点に立ち戻った」感じがしています。家づくりやお客様の望む建築の現場に、意気揚々と帰って来ているような(実際の日々は今までと変わりはないのですが)、不思議な感覚です。現場に指示を出し、お客様と細部の折衝をしたり、選んでもらったり、納得をしてもらったり、そういうことが生き生きとできています。自分の仕事本来の感覚です。資材やスタッフにざわざわと囲まれた喧騒の中が、本来の居場所のように感じます。

喧騒の中では、スタッフの皆が迷ったり、立ち止まったりします。
しかし現場が止まってしまうことは大変なことです。だから要所要所では必ず私の対処が必要になってきます。
あるいは私のような現場を止めない力を持った人間が必要です。
しかしながらどうも私自身の性分がそうはさせません。他人任せにはできないでいます。他人に任せるとあまりいい結果にはならない、という苦い経験が今までたくさんあったからかもしれません。

どんな仕事に携わる人にも、第六感というのがあると思います。それは経験や技術や才能が備わった人ほど強く育まれています。私の場合は設計図を見るとその第六感が働きます。一見ささいな部分であっても、何かそこに胸騒ぎが働くのです。「この部分の数字は裏付けが必要になる」とか「この部分の施工は必ずお施主様に立ち会ってもらわないと危険だ」とか、誰も気づかずにスルーしてしまうことが、大きな心配に感じることがあります。それは放っておくと現場を止めてしまう原因になります。設計図レベルでそれを見極め、胸騒ぎがする場所を前もって対策しておけば、現場は止まることもないし、スタッフが右往左往することもありません。それを発見する能力というのは、科学的ではありませんが、経験や技術から生まれた第六感のように思えます。

さしずめ第六感とは、「先読みする力・プラスアルファ」だと感じるのです。恥ずかしながら将棋ができない私ですが、いわんやチェスなどちんぷんかんぷんな私ですが、そういった先読みをするタイプのゲームは相当に強い、ような気がします。ゲームをしなくても済んでいるのは、現実の世界で存分に使い果たしているからなのでしょう。

「ル・ニコ・ア・オーミナミ」ホームページ http://le-nico-a-ominami.com

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「ル・ニコ・ア・オーミナミ」オープンに想うこと

2012年4月

ついにエバーグリーンホームがプロデュースするフレンチレストラン「ル・ニコ・ア・オーミナミ」がオープンしました。

ご存知ない方のために。フレンチレストラン「ル・ニコ・ア・オーミナミ」は、猪狩裕一の先祖が暮らしてきた土地を有効利用する目的で、エバーがその土地に設計・施工をし、茅ヶ崎随一のフレンチレストラン「ラ・ターブル・ド・トリウミ」から料理長の原信行氏を招聘して運営されてまいります。

お察しのことと思いますが、この「ル・ニコ・ア・オーミナミ」には、さまざまな意義がこめられています。

最も大きな意義は、もちろんより多くの人に良い素材を使った美味しい料理をできるだけ値段をおさえ、心より堪能していただくことです。

もちろん、料理がおいしいだけでは豊かな時間を過ごすことはできません。
豊かな時間を過ごすには、素敵な空間が必要です。料理をより美味しくするための空間も堪能してほしい。そして、できることなら興味をもってほしい。これから家を新築する人であれば、「ル・ニコ・ア・オーミナミ」で過ごした時間がきっかけとなり、エバーグリーンホームにも興味をもっていただけたなら、うれしいです。

私はできるだけ数多くの人に「得」をして欲しいと思っています。
「ル・ニコ・ア・オーミナミ」に来たお客様は、お料理と空間を通して豊かになって欲しい。
「ル・ニコ・ア・オーミナミ」の原シェフならびにスタッフには、おいしい料理を創造するモチベーションと、お店の繁栄を喜びとして欲しい。
茅ヶ崎の皆様には、微力ながら創出された雇用を活用していただけたら幸いです。
そしてエバーグリーンホームにとっては、レストランのお客様の中に新築や店舗の構想がお有りの方がいたら、ゆくゆくはそのお力になれることを希望しています。

二の次になりますが、一応オーナーである私にも今後にメリットがありますように、と願っております。「二の次」と言ったのは、飲食店のオーナー様であればお分かりになると思うのですが、素材のいいもの、手抜きのない美味しいものを提供しようと思うと、その手の飲食店の採算というのは切実に厳しいものです。だからといって大切なものを犠牲にしてまで利益を出すような店には、決していたしませんので、今後とも厳しい目と温かいアドバイスで支えていただければと存じます。

お昼のコースは1,800円からです。フレンチのコースでこの値段です。驚かれる方も多いようです。それでも納得をしていただく自信はあります。
値段で勝負するお店ではありませんが、「この値段でこれだけのことをしてくれる」、そんなお店でありたいと思っています。だから、私はこれでいいと思っています。

「ル・ニコ・ア・オーミナミ」ホームページ http://le-nico-a-ominami.com

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エバーが新たに取り組む「APS工法」について

2012年3月

従来、日本古来の木造家屋の軸組工法、繋ぎ目を掘り込んでカマやホゾを設けて噛み合わせるやり方は、優れた耐久性を生み出し素晴らしい日本の建築文化です。それは同時に、優秀な日本の大工による堅牢な美学でもあります。
しかしながら、現在はどうしても家を建てることにおいてコストが重要視されます。軸組の削り合わせからくる木材の欠損率が高く、現在では施工コストの2割前後を上乗せせざるを得ない従来工法は、その代替策としてコストを抑えた金型工法が数多く取り入れられています。金型工法とは文字通り、繋ぎ目に金属のプレートやユニットを用いた工法です。木材の欠損率が少なく、比較的低コストで家が建てられ、仕上がりも頑丈な金型工法です。
しかしながら、従来の伝統工法に劣る重大なデメリットというものも存在します。

皆さんは火が消えた後の家屋の火災現場というものをご覧になったことがあると思います。
ある家は柱も含めて家屋ごとが倒壊します。またある家は焼け焦げて家の跡かたはなくなっても、柱はきちんと生き残って家としての輪郭が残っているような焼け跡もあります。金属は火に強く、木は火に弱い、と我々は想像します。しかし、正確には金属は火で溶けてただれ、木は火で炭化し炭となるのです。全ての家がそうであるとは言い切りませんが、柱も含めて家屋全体が倒壊する可能性が高い家というのは、繋ぎ目の金型部分が溶けて関節が外れ、家全体が崩れ落ちたことが倒壊の原因になります。火災で死亡に至る主たる原因というのは、有毒ガスによる窒息と倒壊による下敷きです。メリットが多くトータルバランスに優れた金型工法ですが、それは同時に、火災による家の倒壊率が高い、という弱点をも合せ持っているわけです。

そんなことから、エバーではその両方のメリットを合せ持った、在来工法の進化型といわれる「APS工法」について、その意義をあらためて検証し、必要に応じて活用していく方針をとろうと考えています。
APS工法では金型工法とは異なり、金属ではなく対火性の強い高強度・高耐熱の鋳鉄を用います。鋳鉄は木材のつなぎ目に覆い隠れるような状態で埋め込まれるので、それ自体が単体で溶けにくい性質をもっています。

安全性・耐久性・経済性、ありとあらゆる条件を満たす、これ以上のものはない、というものは、どんなジャンルの何をとっても、そんなものは有り得ないのではないかと思います。万物に「完全」がないのと一緒なのかもしれません。その時々で、何が最善であるかを選択する必要があります。

旧来日本の家の建て方というのは、世界的に絶賛され模倣される素晴らしいものです。しかしそれだけを頑なに守るだけでは現実の需要からは遠ざかる一方です。良いものを見極めることと、シンク&トライを重ねて良いものは取り入れ、ダメなものは捨て去ること、それが大切なのではないかと考えています。

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いい国って、どんな国?

2012年2月

いい国って、どんな国でしょうね?

私は、がんばっている人がそれなりに報われる国、だと思います。
もちろん、がんばることのできない弱い人も世の中にはたくさんいます。そういう人達はそういう人達で、みんなでしっかりと守ってあげたり、できる範囲での役割を与えることができ、社会から疎外されることのないようにできる、そんな国です。がんばれない人達にもがんばる機会はちゃんと来て、そのチャンスは誰でも活かすことができ、やがて報われたら、今度はその報いを誰かに分け与えることのできる、そんな平等感をもった国だと思います。

がんばっていないのに報われている人が多いから、この国は歪んでいます。そういう人達は、その先もずっと、自分が怠けても利益を得られるシステムを作り、それを守っていきます。
事故のあった原発の近くにはたくさんの公共施設が作られています。誰も使う人などいないのに、毎年多大な維持費がかかり、その建設や維持で報いを得ている既得権者が大勢いました。彼らは何もしていない、何一つがんばっていないのに、当たり前のような顔をして贅沢に暮し続けていました。そんな人々がこの国には腐るほどたくさんいます。そういう人達が「原発は100%安全ではないかもしれません」なんて言うわけがありません。
既得権益は時として、人に嘘をつかせ、人の命さえ奪っておきながら、それでもしらばっくれたり他人事のようにできる、解釈を間違うと恐ろしい利権です。人間は生きている以上、自分のためや誰かのために、がんばり続けなければならないと私は思います。がんばることを忘れた既得権者は、もう終わりです。

無用な既得権者の顔色ばかりを観て、しらばっくれたり他人事のようにもできる、そんな人に耐えかねて、私たちはいま本当に正義を実行してくれる人の到来を待っています。理論ばかりで何一つ実行しない人ではなく、有言して実行しようとする人です。変革は、歴史上でいくつも起きてきました。「維新の会」という名称を聞いて、当時の変革を想像した人はたくさんいたことでしょう。

これを読んでいるあなたも、私も、おそらく誰もが。もう、我慢が限界を超えています。

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「プライドを取り戻す」

2012年1月

今回は私に似つかわしくないですが、AKB48の話です。

年始のテレビ番組で、まだ全然売れていない頃からの彼女達の足跡を振り返っていました。自分たちの魅力をもっとより多くの人にわかってほしいと、もがきながら、助け合い頑張っている姿は、とてもいいものでした。
考えてみれば、芸能人というのはすごい職業です。どうやれば売れる、という法則がまるでない職業なのですから。スタイルがよく、顔が綺麗であれば、ファッションモデルにはなれます。
しかし、芸能人はスタイルがよく、顔が綺麗であっても、なれるものではありません。さらに歌が上手く、踊りが達者であっても、必ずなれるものでもありません。キラッと光る何かがないと。そこには法則がありません。
彼女たちは自分自身に、そのキラッと光る何かがあると信じて、その信じる力だけを頼りに、道のない暗闇の中を突き進んで来たわけです。そうして報われる人なんて、ごくひと握りだというのに。

至極幸いなことに今彼女達は成功しました。
しかし、闇の中の彷徨いはこれからも続きます。芸能人の魅力なんて泡のようなもので、昨日と同じことを今日またやったら、それは飽きられるだけですから。
たえず新しい自分の魅力を探し続け、それを形造らないと、いつ消えてしまうかわかりません。

「いま求められているのは、何か?次に求められるのは、何か?」

AKB48の努力を眺めていながら、この疑問符は自分自身にもあるものだと感じました。
家づくりとて、似て非なるものかもしれません。エバーの家づくりはこれからどこに向かっていけばいいのか、それはとても難しい問題です。私たちだって、道のない暗闇の中を突き進んでいくのは同じなのだと気づかされました。

そんな中で、ひとつ、「プライドを取り戻す」ことが道しるべであると感じます。
プライドとは、自分はできる、と信じること、要は仕事の原動力です。日に日に、仕事の喜びを見い出せなくなってしまった人が増えているような気がします。仕事が生きがいだ、と答えられる人が少ないことは、不幸な世の中になってしまっている気がしてなりません。
仕事のプライドは、だからなおさら大事です。一人ひとりのその上昇するエネルギーを、長として育て、守っていきたい。個々が個々の立場の中で、自分の仕事に自信と誇りを取り戻すことから、さらに良い家づくりへと進化することができると感じます。
昨年は震災という辛く悲しい出来事があっただけに、強く生き直すことは大変なのかもしれません。しかし、だからこそ、周囲を守れる人間は、周囲を守らなくてはいけません。驕ることなく「自分たちはもっとできる」という思いを信じて、志を高く掲げ直していきたい。そして、得られる利益は、個人ではなく、皆で共有すべきです。

そのための環境を整えることが、ひとつ、私の役割なのではないか。
別にファンでも何でもないですが、20代のAKBと40代の猪狩裕一、どこか頑張る気持ちに共鳴を覚えた、そんな年明けでした。

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