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President,s Column | エバー代表のコラム

President's Column | エバーグリーンホーム代表・猪狩裕一の思いをお伝えします。

年別アーカイブ:2018年

勝手したいのなら中途半端な強者になるべからず。

2018年4月

パワーハラスメントについて。狭い世界で生きていることの怖さというものを、最近よく感じます。相手の気持ちを考えずに言いたいことを言い放ってしまう傲慢さ。それが通じない時に起こす子供のような癇癪。まさに子供だと、見ていて思います。どうしてそうなってしまったのか。それは、その人がイエスマンに囲まれてしまっているからです。お山の大将だから、日常の中で誰も彼を止めることはなく、むしろ正しかろうが誤っていようが「さすがうちの大将だ。その通り。」と周囲が持ち上げ続けます。

どうしてそうなってしまうのか。それはお山の大将が取り巻きにとって「強い存在」であり、取り巻きはお山の大将に守ってもらわなければ生きていけない「弱い存在」という構図になっているからです。取り巻きは他者にやりこめられたら大将に泣きつきます。「それは黙っちゃいられねえ!」とばかりに大将は復讐に向かいます。「これからも困ったことがあったら俺が助けてやるからな!」「さすがうちの大将だ!」。この主従関係があれば生きていける世界が、たくさんあります。

そこには欠けているものがあります。非常に大切なものが欠けています。それは、外部、です。外部が欠落した世界。だから異常なのです。

最近のニュースはパワハラだらけですね。権力による嫌がらせです。しかし、パワハラをされる側はそれを痛いほど感じているのに、パワハラを仕掛ける側というのは、ほとんどがその意識を持っていないらしいです。なるほどそういうことか、と思いました。つまり、パワハラをする強者はたいてい自分の「お山」を持っているのです。強者にとっては「お山」という自分の居場所が世界の全てです。外部なんて関係ありません。だから、その「お山」の掟に反する者が現れたら、攻撃をします。それが権力による嫌がらせです。それをしたから周囲がどう思うのか、なんて、考える必要はないのです。お山の中に大将に逆らう者なんていない(はず)ですから。狭い世界のゆがんだ秩序は、この繰り返しで膨張していきます。「外の奴らの言うことなんか気にするな。俺の言うことだけ聞いていればいいんだからな」繰り返しますが、これが外部が欠落した結果です。

一方的な意見では、パワハラは、する方が100%悪い、と言います。しかし元をたどれば、お山の住人のひとりひとりも悪いのです。都合のいい時だけ助けを求めて、その代わりに権力者の横暴に目をつむってきた住人が、正しい行いをしてきたとは思えません。

お山の大将は、一刻も早く外部を意識しなければなりませんでした。さもなければ、どんな外部との温度差にも屈しない、「最強」になるべきでした。最強なら、意見の違いなどもろともしませんからね。中途半端に強いのなら、お山の大将は、勝手をしてはいけないのでした。いつか他者に叩かれて、簡単に謝罪するくらいの強さだったのだから。

今、お山に住んでいる感覚がお有りの方がいらっしゃると思います。そのお山、居心地がいいのかもしれませんが、ご自身がどんどん浮世離れしていくことに注意された方がいいと思います。これはおかしい!とばかりに強者に対して反旗を翻すなんて、しない方がいいです。そんなことをしたってお山の掟は変わりません。ただお山から脱出する。することはそれだけです。

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口約束という堅い信頼。

2018年3月

失敗しないように策を打つことは大切です。無防備や無鉄砲は愚かなことです。思い切りや直感も時には大切ですが、それだけで上手くいくはずはありません。しかし、肝心のリスク回避も、限度というものがあります。何事もやり過ぎは良くありません。

今の世の中は、考えうる限りの全ての想定に対処するために書面化することが良しとされています。すると自然に約束事というのは膨れ上がっていきます。書面に記されているかいないかで責任を問えるのか問えないのかが分かれます。だから思いつくことはどんなことでも約束事として書き表していかない。さて、するとどうなっていくか?そう、書面づくりに追われます。本業より書面づくりに日々を費やさなければならないこともある、それが大きな弊害です。

エバーという会社の場合、それはとくに問題です。なんせ画一的な家づくりをしていないのですから、書面づくりは、極端なことを言えば、お施主様の数だけ異なるものを作成しなければならなくなってしまいます。一つの家には本当にたくさんの資材や設備やアイデアが詰まっていて、それが一邸一邸で違うのだから、個別に起りそうな想定を考えていくとなれば、それはもうキリのない作業です。考えただけで蟻地獄です。

私が今まで大事にしてきて、これからもなおいっそう大事にしていきたいと心がけていることがあります。それは「口約束」です。

口約束と言うと、ネガティブに受取られることもあります。言った言わないの元になる、とか。しかし、良い側面が悪い側面を凌駕するとも思っています。最大限の常識を両者で共有すれば、もうそれでいいのではないだろうか?と。我が国には憲法があり、その下に民法やら商法やらがあり、さらにその下に条例とかモラルがあります。ありとあらゆる事象を想定した分厚い書面というのは、大根幹である憲法だけでなく考えうる限りの細かな条例やモラルまでをも書き連ねたような、分厚い法律書のようなものです。不特定多数が買う製品に付ける約款ならともかく、私たちはお施主様の人となりも把握できる密接な関係を築くことができます。さまざまなことは口約束で同意できるし、それは約款以上に効力があると思います。つまり「お互いが話し合って理解し合う、それ以上の決まりごとはない」と私は思っています。まさかあるわけないけれど、ないとも限らない、そんな事象を事細かに書面にして同意し合わなければならない不審な人間関係が前提ではなく、顔を突き合わせて信頼を醸成させていった先の、血の通った口約束です。もちろん書面は書面で必要です。しかしそれは根底として共有する憲法のような性格のものがあれば、個々の事象はそれに照らし合わせて考えればいいだけなのではないか、と思います。

互いに信頼があっての口約束です。お施主様との信頼を醸成していくことは、おせっかいな約款づくりをするための膨大な時間を、それだけ家づくりに専念させてくれます。

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お金は働いて稼ぐもの。

2018年2月

目に見えるものしか信じられない性分です。なおかつ、ふってわいたような儲け話に飛びつく性格でもない。そんな私にとって、ちんぷんかんぷんなものが、いま話題のビットコインです。10万円が240万円になったー!なんていう話も耳にします。

先日ニュース番組で、ビットコインの説明をしている人がいました。「冷蔵庫に例えますと、冷蔵庫は買いますよね?20万円のものを買って、20年間使うとします。すると一日あたり約25円です。これは使う使わないを別として、20年間毎日25円を払うということです。で、ビットコインはですね、使う時だけ冷蔵庫が使えるという発想です。20年間で一日だけ使うとして、25円だけ払えばいいという発想です。そうすると、冷蔵庫の需要が飛躍的に進化します。いちどに20万円を使わなくて済むということですから。」…なんのことやら、なんとなくわかったようで、でもさっぱりわからないようで。

それはどうやら、世の中のお金を活発に動かすために、ビットコインというものはとても有効であるということのようです。皆様、タンス預金を多かれ少なかれされていることと存じます。その総額は、日本人の場合、100兆円とか200兆円とか言われています。そういった動かないお金を活発化するために、仮想通貨の存在は非常に有益だということのようです。経済的な観点ではできるだけ多くのお金が動いた方が社会は潤っていきます。そういう意味で、仮想通貨は救世主になるのだ、と。そういうものなんですね。

今は儲け話としてめっきり話題になっている仮想通貨ですが、その本来の意義というのは、経済を活性化させるための起爆剤として考えた方が正しいのですね。そういうことをきちんと説明してくれるメディアがあまりなく、どちらかといえば浮いた話とか沈んだ話とか、そんなことばかりが先行しているので、誤解も増えるのでしょう。

経済を活性化は興味があります。しかし得した、儲かったみたいな話は他人事です。ゲーム感覚みたいな楽しさはあるのかもしれませんが、そんな暇があったら私は仕事をがんばります。だって、一生懸命働いて稼いだ方が、楽しいに決まっていますから。お金は働いて稼ぐもの。それがいちばん楽しいのです。

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全てのモノ、それを使ったのはヒトである。

2018年1月

マテリアルに責任を転嫁しない、というのがエバーグリーンホームの信条です。

どうしてそういうことを申し上げるかというと、「うちの家はどこそこの部分に○○社の製品を使っているから信頼できます」というセールストークや広告トークがいかに多いかを痛感しているからです。これは何も我々の業界に限ったことでなく、すべての業界にあるわけですが。「うちの玩具は世界品質の○○社が監修しているからお子様に安心です」「わが社の傘は○○社の耐久素材を使用しているから壊れません」「当社の自転車に使われているブレーキは全て○○社の製品です」等々。しかし、それらはあくまでもその製品の魅力のオプションのようなものです。玩具にしても傘にしても自転車にしても、一部分に過ぎないのに、まるでそれがその商品の「全て」のように聞こえます。どこかの名の通った製品を借用して何かをつくり、「これがこの商品の全てです!」というのは、はたしてどうなんでしょう。少なくとも家づくりというジャンルにおいては、あまりにも責任を一か所に転嫁させ過ぎている、と私は思います。「○○社の製品を使っているから信頼できます」ではなく「私たちのつくろうとしているこの家に必要なので、私たちはこの○○社の製品を使っています」という、つくり手主体の論法が正しいと思うのです。

日本人の職人魂の劣化というものが囁かれています。マテリアル主体か、つくり手主体か、その論法の違いというのは、職人魂の劣化を助長しているような気がします。作り手の発想がまずあって、それに必要な素材や技術が選ばれていた時代があって、やがてそれがいつしか、優秀な素材や技術の組み合わせ=高品質と呼ばれてしまうような時代になってしまった。それを高品質と呼んでしまうのなら、高品質はマテリアルメーカーだけでできてしまうということになります。

なので、エバーグリーンホームでは、つくった家に対する責任というのはマテリアルのせいにはしません。もしも誤りが起きたとしたら、それはマテリアルの責任ではなく、それを採用した人間の責任です。「うちの家はどこそこの部分に○○社の製品を使っているから信頼できます」みたいなセールストークをする会社とエバーとでは、スタンスが異なります。

先日、新幹線のホームに立っていてあらためて驚きました。新幹線って、10分かそこらの間隔でびゅんびゅん出て行くんですよね。「常識を超えた正確さ」と言われているらしいです。すごいもんですね、日本という国は。職人魂の典型ですが、それがついに劣化しました。台車の大幅な亀裂という大惨事につながるトラブルを瞬間的に保留しました。さらにそれが発覚しても3時間、ダイヤの乱れを気にして対処できませんでした。マテリアルに対する過度の信頼が危機意識を麻痺させてしまったのでしょうか。責任をマテリアルに押し付けるように、騒ぎは闇に葬られようとしています。良きことであれ、悪しきことであれ、マテリアルを採用し管理しているのは人間だということを、忘れてはいけないと思います。

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